血の系譜 (俺と姉貴の子?)
その夜遅く、三木助は車で出かけて行ったらしい。
朝起きると車がなかった。
しばらくそっとしておこう…それしかないと思った。
そんな時愚息が通知表を持って帰ってきた。
なんと5がいくつもある。確かに高校に入り総体的に成績は上がったが5段階の5は息子の成績表では初対面だった。
もしかして10段階に変わったのか?
しかし、そのような事は書いてない。
表を見ると確かに小林康浩と書いてある。
セクハラの償いに5をやっちまえ!とくれたのか?
しかし、理事以外あのセクハラ事件は極秘となっている筈だ。
ありとあらゆる観点から疑惑を消去法で考えてみた。
しかし、やはり本物らしいので私は三つ指ついて『5』に
『初めまして、小林康浩の母でございます』と挨拶をした。
息子は当時 『どんより』 とした子だった。
12月の9日三木助が噺家にしたいと言ったのを断った際、三木助から
『俺と姉貴の子なのに、アイツはなんで洒落っ気がないんだ?』
と言われた。
お洒落どころか、息子はどんよりとした靄のような空気漂う少年だった。
三木助に 『俺と姉貴の子』 と言われ、なんか変だなぁ…と考えながら弟の玄関のドアを閉め12月の冷たい風にあたり
『俺と姉貴の子じゃない!それを言うなら俺と姉貴の血だ』
と気づいた。
訂正しに弟のところへ行こうかと思ったがやめた。
その 『どんより』 が、5を取った。小学校で5年生と書かれた時以来5という数字は 『どんより』 には無縁だった。
三木助の名にこだわるのか3の好きな子だった。たまに四代目の4が現れるくらいだった。
クリスマスも兼ねて、前から欲しがっていた新しいパソコンを買ってやろうと、親友のJ君にお見立てをお願いした。
J君はパソコンを自分で作れる才能の持ち主だったからだ。
『どんより』君では、高いパソコンで使えないパソコン等選ばれては堪らないからだった。
余談ではあるが、そのどんより君は今やファッション雑誌からあらゆる
情報を盗み、ポール・スミスに始まり、デニムを買いあさり、六本木ミッドタウンで中田ヒデ元選手(サッカー)と同じ美容師にカットされ、私に要らなくなったブランド品をくれる洒落者に変身した。
『俺と姉貴の血』はやはり流れていましたよ!モリ君。