血の系譜 (新たなる課題)
学校へ携帯電話は持ち込み禁止という事もあり 『規則を守れ』 の教育の成果か、1999年17歳の息子は携帯電話を持っていなかった。
毎日生きて帰って来るか、不安を抱く日々だった。
そこへまた、新たな問題が発生する。
今度は著作権侵害問題だった。
可哀相なのは出したレコード会社だが、CDの回収もしてくれないし、騙されたというのに騙した人を告訴もしない。
こちらとしては、父の十八番の『芝浜』等を、音源のよくないもので発売されては困る。
今度は落語協会も一緒に闘うという落語界全体の問題だ。
亡くなった落語家ばかりのCDだから、落語協会も迂闊に首を突っ込めない。
またまた、この問題の代表は私になった。
三木助も現場に付いて来なくてよいから、学校とこの問題に従事しろよ!と言う。
落語協会の当時の事務局長が後見人の形で一緒に著作権協会へ行ったり、弁護士と話し合いしたりで私は忙しかった。
またそのころ、学校ではA君が修学旅行で息子を襲うという風聞も流れているらしい。
久しぶりの弟と一緒の仕事場に息子から珍しく電話があり
『A君に修学旅行に行く前に家族としっかり別れを惜しめ』
と言われたらしい。
弟と相談の結果、おちおち眠れない修学旅行は行くだけ楽しみも半減するどころか、ライオンの檻にぶち込むようなものだから、行かせるのはよそう!と決めた。
そこで、また一悶着あっては 今度は息子が停学にも成り兼ねない。
私は学校法人に電話を入れ修学旅行辞退の経過説明をして修学旅行は辞めさせた。
著作権侵害問題は、なかなか進展せず、弁護士に任せるより自分でやった方が早いと、レコード会社に日参した。
その頃から、私は弟三木助に異変を感じ始めていた。
体調不良、歯ぎしりによる滑舌の悪さを訴えてはいるが、何か言い知れぬ不安感を持ち、一冊のノートに自分の不安と先ざきの事を書き綴り、子供達が学校へ持って行く時に一緒作る弟の弁当の脇に、そのノートを弟三木助の玄関先に置いた。