鬱病になった~治った~頑張った(2)
平成18年1月末に私は何気なく開いた求人雑誌にその仕事は載っていた。
私が新卒で入った銀行が合併された。
そこでの仕事だった。
年齢制限は50歳とあったが、まだ51歳になって10日程なので、なんとかオマケして貰い面接を受けた。
採用が決まり、仕事内容もキャッシュカードに年会費無料のクレジットカードを付けるだけで、特典が付くという私には魅力的な仕事だった。
一応ノルマ一日12件で、あまり少ないと目立つらしい。
300名の中でひっそり生きるには15件くらい取れば良いだろう。
最初入った派遣会社はアウ゛アンティではない。
2月1日から私は先輩である智美さんと一週間見習いのように働いたがノルマは達成した。
その後私は自分でも銀行商品として良品だと思ったので積極的働き2月は300名中トップだった。
そして3月もトップ。
あまり成績が良すぎ、クレジット会社とトラブった。
何か裏工作しているのではないかと疑われたからだ。
しかし、今まで芸能界で働き私自身講演会等やっていた話術の持ち主が惚れ込んだ商品を銀行という舞台で勧める仕事だ。
落語界で口うるさい弟に所作、礼節を叩き込まれた。
獲得出来ない筈がない。
4月に入り某支店の支店長から新入行員に私のセールスと所作、礼節を教えてほしいと頼まれた。
派遣会社に伝え銀行本部に確認して貰うと本来業うはないから残業しても時給は出ないがそれでよければやって良い!との答えだった。
随分上から目線だった。
だったら某支店長に
『本来業務以外勝手に依頼されては困る』
と断ってくれればよいのに事は私に託され、時給でないからやりません!とは江戸っ子としては断り辛い。
仕方なく新入行員に銀行業務の1から教え、毎日無給で3時間ほど残業して某支店の新入行員を育てた。
するとそこへ本部の参事役が会いたいという。
休みを取り本部の参事役やこのカード業務に携わる行員と会い、本部直属のスーパープレイヤーと名付けられた派遣スタッフに変わった。
と同時に派遣会社もアウ゛アンティスタッフに変わった。
労働審判では私が派遣会社を変わりたがったように言われたが、銀行本部の依頼だった。
(これが事実なら派遣先指針違反)
結局私は新入行員指導者として銀行の支店を渡り歩く。
無給で試し結果成功したから、こりゃラッキーと横取りされたようだった。
世間は上から目線の銀行に冷たかったが、私は徹底的に新入行員に来店下さるお客様を大切に!と教えた。
私が銀行に持ち込んだのは30年前の接客だった。
感謝を込めた接客は、新入行員に異例のセールス成績をもたらせた。
派遣スタッフなら一日15件のところ、新入行員は50、60.70件獲得する。
多少もたつくセールスも
『今年入りまして…』
『指導責任者の私が至りません』
という言葉で人情や希薄になった人間関係を、取り戻したように確実にお客様を巻き込んだ。
銀行本部は奇跡の数字と喜んだ。
私は表向きスーパーインストラクターとなり、銀行本部ではカリスマと呼ばれた。