年長者だからといって威張るな! | 杉山茂樹のブログ

年長者だからといって威張るな!

世の中には安いものが溢れている。高級品は相変わらず高い価格を維持しているが、それを除く大衆的なモノの値段は、これで世の中は大丈夫なのか? と心配になるほどジワジワ下がっている。

時の流れとモノの値段の上昇とが同じ歩調にあった頃が、妙に懐かしく感じられる。
不思議な気分だ。
モノの値段を見ていると、時代が逆に流れているような気にさえなる。
昔に戻っていくような錯覚に陥る。

おそらく、僕から若者気分が抜けないのもそのせいだろう。
いい年を迎えているはずなのに、その自覚が全くない。

それどころか、人間的な成長を実感できずにいる。
年輪というか、「いい大人」のムードを醸し出せずにいることは確かなのだ。

20年前の僕が、いまの僕を見たら、エーと眉をひそめているだろう。
ろくすっぽ進歩していない姿に、愕然としているに違いない。

その昔、大人には敬意を表すものだと思っていた。
そう教えられた気がするが、いまの子供たちに、僕はこう言いたくなる。
「それは違います。例外も多々あります」と。

尊敬できるかできないかは、年齢と関係ない気がしてきた。
年が若くても、立派な人は確実にいる。
最近、「僕が○歳の頃、あんな立派な台詞は吐けなかったぞ」と、思わせるシーンに何度で食わすことか。

だから僕は、年齢が上だと言うだけで、威張る人が少しばかり苦手だ。
威張る材料が、年齢しかない人、年齢を拠り所に威張る人は、見ていてちょい辛い。
そうした人こそ、尊敬できない大人になる。
年功序列のサラリーマン社会は、そうした矛盾の巣窟だろう。

フリーランス社会の方が、その点では健康的だ。
仕事相手の年齢を気にする瞬間が少ないからだ。
相手の年齢をいちいち確かめた上で仕事をしているわけではない。

学歴もそうだ。仕事相手の出身校など、まるで気にならない。
高卒でも、中卒でも、なんでもオッケー。
問題は、いまの仕事ぶりに限られる。
人と関わる力の方が優先される。

サッカー選手も、そうした意味でフリーランス的だ。
少なくとも、ピッチの上では、年齢を気にする必要がない。
年長者有利にはできていない。

プレイはイマイチなのに、変に先輩風を吹かす年長者より、生意気な若手の方が、僕には遥かにラブリーな存在に見える。

それだけに、メディアの前で、常識的な振る舞いを見せている期待の若手が、僕には物足りなく感じる。基本的にそこはフリーランス社会なんだから。
年功序列の会社に入社した新人のようなしおらしい顔は見たくないのだ。

「サッカー番長・杉山茂樹 責任編集 オールナイトサッカー」
「日本サッカー偏差値52」
サッカー番長 0号―ヨイショ記事にはもう飽き飽きだ。
4‐2‐3‐1―サッカーを戦術から理解する