近江の山岳神社、太郎坊宮
金澤成保
以前から訪れたいと思っていた太郎坊宮に、今回ようやくお参りすることができた。
近江八幡までJRで来て近江鉄道に乗り換え、太郎坊宮前で下車した。
霊山と崇められてきた赤神山を正面に見すえ、田園を北に20分ほど歩くと登り口に着く。
標高350mの赤神山の中腹に社殿が建立されており、そこに至るまで740段余りの石段が続く山岳神社!。
赤神山は、その秀麗な姿から神の存在を感じ、多くの岩肌からは溢れ出る力強さを感じられるよう。
修験道に深く結びついた神社で、山の守護者である天狗と結びつけられ「太郎坊」と呼ばれるが、正式名称は、阿賀神社である。
神道に天台宗の山岳仏教と修験道が相交わった特異な信仰に支えられ、
山中に設けられた修験道の霊場であるとともに、勝運や招福を願う庶民の様々な信仰を映し出した神社ともいえる。
勝利を授ける太郎坊宮
主祭神としてお祀りしているのは、天照大御神の第一皇子神、神武天皇の高父祖の正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)。
「まさに勝った、私は勝った。朝日が昇るように鮮やかに、速やかに勝利を得た」という意味で、ヤマト王権の成立前、戰に大勝利した神の喜びを想像させる。
勝利を授ける神、また稲穂や農耕の神としても広く信仰されてきた(以下、太郎坊宮HPを参照)。
古くは聖徳太子をはじめ、伝教大師・最澄や源義経、室町幕府の近江守護職・佐々木六角氏などの尊崇を集めたといわれる。
「神験即現」神様のご利益がすぐに現れる神とたたえられ、今日ではスポーツ選手や、企業経営者、政治家、職人、ビジネスマンなど、業種を越えた多くの人々が信仰に訪れている。
太郎坊宮の由緒
そもそもは、夫婦岩を始めとする巨岩を磐座として欽明天皇の時代には祭祀が行われ、崇拝されていたと見られる(以下、Wikipediaを参照)。
推古天皇の時代(600年ころ)、四天王寺の瓦を焼くため箕作山の一角に瓦屋寺が聖徳太子により創建された。
それとほぼ同時、箕作山の一峯である赤神山に、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る社が建立され、赤神山の名前から阿賀神社と称されたという。
聖徳太子は、この神社を通じて国家の安泰と万人の幸福を祈願したという。
延暦18年(799)に、当社の神徳に感じ入った最澄によって薬師如来を本尊とする成願寺が当社の神宮寺として麓に創建された。
その際、修験道の大成者である役行者の兄弟子であり、赤神山に住んでいた天狗の太郎坊が山上に現れて、この地に一宇を建立するように最澄に告げ、山の守護神としてその建立を手助けしたという。
諸神を祀る参道を巡る
当社への登り口の手前に、神饌田がある。当社に奉納する米を作る神聖な田で、毎年「お田植大祭」と「抜穂祭」が行われる。
参道を進むと石段があり、それを登ると神仏習合の時代を通じ太郎坊を管理下に置いた成願寺の前に出る。
その先を左に表参道(男坂)の階段を登ると、やがて白木の鳥居の”トンネル”が続く(大正時代、1000基ほどもあったそう)。
次に社務所のある参集殿で御朱印をいただき、
長楽殿、永安殿、拝殿を左に見ながら階段をさらに登ると、愛宕社、稲荷社、火防の稲荷社の祠の前に出る。
その先が、夫婦岩と本殿である。
本殿を参拝した後、裏参道(女坂)を下ることにした。
太郎坊宮の創立以前にこの地を領有していたと思われる神を祀る地主社の祠の前に降りて手を合わせた。
布袋和尚などの七福神のお像を横に進むと一願成就社(願かけ殿)があり、念願の成就を心よりお祈りした。
そこからさらに下ると大黒天などの七福神が迎えてくれた。
その先の不動尊にお参りして御霊水をいただき、絵馬殿横の神馬に挨拶して、帰路についた。
急峻な道を登り降りしたにもかかわらず、息も切らずに巡礼できたのは、神々のお陰であろうか。
ちなみに参道沿いには、源義経が陸奥国平泉の藤原秀衡のもとに赴く際に当地に立ち寄り、この岩に腰を下ろしたといわれる腰掛岩がある。
夫婦岩と本殿
夫婦岩は、 本殿の前にある数十メートルの高さの岩で、山側を男岩、谷側を女岩という(以下、 Wikipediaを参照)。
近江の高天原とも呼ばれ、岩の間が参道になっており、幅約80cmの参道が約12m続く。
神の神通力によって開かれたと伝えられ、悪心のある者が間を通ると挟まれるとされる。
天狗が住んでいるともいわれる。
本殿は、赤神山南腹のわずかな平地に東面して建てられている(以下、太郎坊宮のパンフレット参照)。現在の本殿は、江戸時代中期・宝暦3年(1753)の再建である。
一間社入母屋造で、獅子や獏、菊花といった彫刻が施されており、装飾性豊かな近世神社建築として評価される。

本殿を取り囲むように建てられているのが参拝所で、普段、外から見える社殿はこの参拝所。
大正時代に増築された建物で、正面に向拝、背面には幣殿が付帯している。
本殿の前の舞台(展望台)は、清水寺の舞台と同じく懸造の木造で建てられており、約 13 m
の高さがある。
昭和になってからコンクリート床に改修されたが、本来は板床であった。舞台から見晴らす湖東のパノラマは、なかなかの見ものであった。

































