紫陽花の美しい時節となった。
四弁の小花が鞠のように群れ咲く、八重大輪の優美な姿にしばし見とれずにはいられない。
しかしながら、紫陽花はあまり我が国では人気を博した歴史はないようだ。
どうも、色変わりする性質が移り気や変節を思わせて、嫌われていたものらしい。(^^;)
清少納言も見事に無視。(TT)
ようやく『万葉集』に二首ばかり、この花が詠み込まれたものが見つかる。
事不問 木尚味狭藍 諸茅等之 練乃村戸二 所詐来
(こととはぬ きすらあぢさゐ もろちらが ねりのむらとに あざむかえけり)
――物を言わない木でさえ、色の変わりやすい紫陽花や諸茅などの、一筋縄でいかない心に騙されてしまったのです。(まして人間であるわたしは、変わりやすい貴女の心に欺かれて、戸惑っておることですよ)
安治佐為能 夜敞佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都〃思努波牟
(あぢさゐの やえさくごとく やつよにを いませわがせこ みつつしのはむ)
――紫陽花の八重に咲くように、幾重にも栄えておいでください。我が君よ、わたしはそのご立派さを仰いで讃嘆いたしましょう。
前者は『万葉集』の編者と言われる大伴家持の作で、従姉妹で妻の大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)に贈ったものである。
後者は、光明皇后の異父兄・左大臣橘諸兄の歌である。
「紫陽花」の字は、中唐の詩人・白楽天の詩から採ったもののようだが、どうもそちらはライラックのことを言っているらしい。
筆者は紫陽花というと自然、万華鏡を連想する。
白紫、青紫、紅紫とさまざまに変化しながらも凛と咲きだまる花の様子に、めまぐるしく変わりゆく世の中に応じて懸命に生き抜こうとしている人の姿と重なるような気がするというのは、穿ちすぎであろうか。