花見の時節の真っ只中である。
桜の連なる小道を歩くと、この世のものとも信じられぬ清雅な美しさに筆者にも散華を惜しんだ我が古人の心がよく判る。
古典に疎い筆者でも、そのような趣旨の古歌がすぐにいくつか思い浮かぶほどだ。
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
大空をおほふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ
春さめのふるは涙かさくら花ちるををしまぬ人しなければ
『平家物語』には、桜町中納言という風流数寄な人物の話が記されている。
彼は、常に吉野山の桜を愛し、邸内の一画に桜を植え並べ、その内に家屋を建てて住んだ。
そして桜が咲いて七日で散るのをそれは惜しんで、天照御神に祈り、花の寿命を二十一日に延ばしたのだとか。
しかしながら、我が敬愛する国文学者、折口信夫によれば、この花を惜しむ心にはさらに深い意味を求められるという。
面白いことに、奈良時代に成立した我が国最古の歌集『万葉集』には、桜花を誉めたり散華を惜しむ作品は皆無といってよい。
ただそれは、桜の詠まれている歌がまったくないということでは勿論ない。
髪飾りとしてこの花が好まれていたらしいことは万葉歌から十分うかがい知れるし、筆者の承知している範囲では、同集中に記された桜児(さくらこ)と呼ばれる乙女の物語にかろうじて花の散るのを悲しむような歌が見える(ただそれも、髪飾りにするつもりだったのに散ってしまったと読み取れるのだが)。
物語は単純な悲恋話である。
二人の男が桜児という少女に恋して、命がけで争った。それを苦にした乙女は首をくくって死んでしまった。二人の男は血の涙を流して乙女の死を悲しみ、こう詠んだという。
春さらば挿頭(かざし)にせむとわが思(も)いし桜の花は散りにけるかも
妹(いも)が名に懸けたる桜花咲かば常にや恋ひむいや毎年(としのは)に
ともあれ折口によれば、万葉時代の人々にとり、桜は観賞の対象ではなく、もっと実用的な存在であった。彼らは、桜を使ってその年の稲の収穫の具合を占ったというのである。早く散ってしまうのは、よくない兆候であったのだと。
とにかく万葉人は、桜を髪飾りとして用いるばかりでなく、なんらかの暗示を得るものと考えていたらしい。
この花の一枝(ひとよ)のうちに百種(ももくさ)の言(こと)そ隠(こも)れるおぼろかにすな
この花の一枝のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや
我が先祖は、花が散るのを悪い前兆と考え、桜の花も早く散ってしまうのを迷惑に思った。
つまりそれだけ桜になんらかの魔力のようなものを感じたのかもしれない。
そしてそのような心持ちがだんだんに変化していって、桜の花が散らないよう欲する努力になっていく。
平安朝に至って、花が美しいから散るのを残念がるという文学的な変化を遂げたということだ。
それが今日までも連綿と続く我が国人の花を惜しむ思いを形作っているのである。
ところで上記の桜町中納言の行為を、折口は「桜の命乞い」と記している。
まことに言い得て妙である。