なんだが平家関わりの記事が続いてしまったが、特に意図してのことではない。
なんたってまだカゼが抜けきってなくて、ぼーっとしてるし。(苦笑)
そういえば、室町時代に成立したらしい『平家花揃へ』という作品がある。
これは、平家や平家に関わる人々を花等にたとえた記事を載せたものである。
コピーしたものが手元にあるが、面倒なので記憶のままに書き綴ってみる 。
平清盛・・・・・・桐竹鳳凰
平忠度・・・・・・葦
平重盛・・・・・・梅
平維盛・・・・・・樺桜
平資盛・・・・・・藤
平宗盛・・・・・・白菊
平知盛・・・・・・紅葉
平重衡・・・・・・牡丹
平経正・・・・・・雪の朝
平敦盛・・・・・・冬の梅
平教経・・・・・・蓮
建春門院平滋子がいないのがちょっと不満であるが、まあこれは基本的に平家の公達をたたえたものだろうからよしとする。
と、いまごそごそと『平家花揃へ』を取り出したが、つき合わせてみて間違ってなかった模様(ほ)。
清盛の五男で牡丹の君と呼ばれた平重衡(たいらのしげひら)と光源氏にたとえられた平維盛(たいらのこれもり)の記事の一部をご紹介しよう。
本三位中将平重衡
ぼたんのはなの、にほひおほく、さきみだれたる、あさぼらけに、はつほとゝぎすの、ひとこゑ、をとづれたるほどゝや、聞えむ
三位中将維盛重盛公の一男
・・・・・・名に高き春の曙、月かすかに残て、山ぎはしらみわたれるに、あたりまで、かほり過たる、かば桜の、吹きたる風も、うしろめたきにや、やゝ打ちる程、おほふ計の袖もがなと、あぢきなく、覚ゆるほどゝや、聞えん
月影の、霞みて残る、あけぼのゝ、花の匂ひに、にるものぞなき
壇ノ浦の合戦の後に東武者によって平孫狩りが行われたが、それは、「色白で気品のある顔立ちをした子供は平家の縁者に違いないから殺しておけ」という惨たらしいものであった。
それはまた、平家一門の人々が美貌であった証左でもあろう。