私はいつも

人に嫌われるのが怖かった。

だからいつもどこか

緊張して生きていました。

 

それは幼いころ、できた思い込みで

母親に嫌われたら捨てられる。

そんな恐怖があったからだ思っていました。

 

こんな私なんて、何の価値もないとか

消えてしまいたいとか

しょっちゅう思ってしまうのも

そのせいだと思っていました。

 

例えば、長時間パソコンに向かったのに

結局ブログを書けなかった時

それなのに午前4時、5時まで起きてしまった時

そして朝寝坊してしまった時

 

自分はなんてダメな人間なんだと

消えたくなるのです。

 

掃除が滞り、フローリングが埃だらけなのが見えたり

買ってから1ページも開かず山積みの本を見た時

facebookを開いて、気が付くと2時間も3時間も過ぎていた時

遅く家を出た日に限って道路が渋滞し、

大遅刻が決定した時

 

そんな時

私を一番嫌い受け入れなかったのは

周りの誰でもなく

私自身でした。

 

そんな自分を見たくなくて目を背け

私を見捨てて来たのは

私自身だったのです。

 

人の顔色を見て

嫌われないように

見捨てられないように

いつも頑張っていた。

 

不自然にテンションを高めて

道化を演じて笑われて

人に受け入れてもらおうとした。

 

そのままの自分ではだめと

受け入れ拒否したのは

誰でもない

私だったのです。

 

自由がない

生きづらいと言って

自らを牢に入れ

鎖につないでがんじがらめにし

思い通りにならない自分を罰し続けたのは

やはり私だったのです。

 

外側の誰かがしていると

母が幼いころしたことだと

ずっと思っていました。

 

生まれや育ちのせいにしたり

問題のある人のせいにして

自分が作り出した影を恐れ

戦いを挑んでいました。

 

けれど全ての原因は

私の中にあったのです。

 

そんな苦しい世界を作ったのは

自分自身でした。

 

世界はずっと優しかったのに

その世界に私は

見えない牢を作り

見えない鎖でしばり

恐れから分厚い鎧を自分に着せて

そのままの自分を覆い隠したのです。

 

少しでも本当のありのままの自分が現れると

恐ろしくて、怖くて、

押し込めて黙らせたのです。

 

自分への虐待。

 

だから世の中の虐待する親を見て

許せないと憤っていた。

 

外側に許せない現実を見て

それを責めることで

自分を見ることから目を背けた。

 

自分がしていることを

感じないようにしていたです。

 

今私はたくさんの旅を終えて

安心して自分でいる時間を持つことができました。

 

するとこれまでどれほど

自分が緊張していたのかが

驚くほどわかったのです。

 

どれほど怖がっていたのか。

誰も傷つけたりしなかったのに。

その人たちを怖い人にしたのは

私でした。

 

自分が作った恐れという幻想に

ひとつ気が付くと

ひとつ楽になる。

 

鎖に気が付くと

鎖が解ける。

 

牢に気が付くと

鍵が開いて、牢獄ごと消えていく。

 

自分の中に、自分が作った

見捨てられ恐怖という幻想に

気が付くたびに

影が薄れ消えていきました。

 

恐れがその力を失うと

その先に見えたのは

美しい世界でした。

 

大きな腕を広げて

優しく抱きしめてくれる

広大な宇宙でした。

 

世界はこんなにも優しかった。

私のことをこんなにも愛してくれていた。

私は私を、大好きになりました。

 

 

私が私を愛したら

見捨てられ恐怖は消えました。

 

恐怖の世界は消え

愛に満ちた世界が現れました。

 

私の中の天地創造の物語でした。