今回イギリスのホストファミリーの家に里帰りしたのは

ホストファミリーがもうすぐ引っ越すと聞いたからでした。

 

私にとっては実家も同じあのパイパー家にもう帰れなくなってしまうのです。

 

あの3階の自分の部屋から澄んだ青空を眺め

雨や雪を、そして静かな朝の鳥の声を聞き、

霜の降りた庭を眺め、授業の準備に徹夜して朝焼けを眺めたことでしょう。

 

本当に静かで広くて温かみがあって

いつでも居心地よく片付いていて

何より結婚41周年を迎える夫婦の長い歴史がある。

 

ジュディとジェフの家。

 

ここでクリスマスを過ごし、イースターを迎え

11月11日の戦争記念日(ワ―メモリアルデー)の意味や

11月5日のガイ ホークスデイのお祭りについて教わり

イースターの1か月前のパンケーキデイには

伝統的な薄いクレープのようなパンケーキにレモンとお砂糖をかけて食べさせてくれた。

 

ジュディのお父さんの危篤とそして亡くなった朝、

葬儀の準備に出かける二人を見送ったのもこの家のドアからでした。

 

8月末か9月の初めには新しい家を買って引っ越すと聞き

とても慌てて里帰りを決めました。

 

今回帰ったら、家の中はたくさんの段ボールに荷造りが終わっていて

私が過ごした3階の部屋は段ボール置き場になっていました。

 

おかげで私は2階の広いゲストルームに泊めてもらいました。

 

私のために夕食会を開いたときにやってきた

長男のニールと長女のセイラは

二人とも30才を過ぎ結婚して別に住んでいますが

それぞれに子どもの頃の絵や作文、成績表などを
バッグにまとめて渡してあげていました。

 

夕食会でニールが小学生の時の作文を読み上げたりして

皆で笑いました。英語の成績がほとんどAだったり。

 

ニールとセイラにとっても、育った家がなくなるんだなと私の方がしんみりしました。

 

ジュディは
「30年以上ここに住んで子どもを育てあげ、仕事をしてきたの。

家にはたくさんの思い出がある。

けれど今度はまた新しい家族がここに住んで自分たちの思い出を作っていくでしょう」
そう語る様子はサバサバしたものでした。

 

人生のステージが変わるたびに家を売ったり買ったりして移り住んでいく。
そう言えば、ジュディの妹のアリソンさん夫婦はヨークシャーの家を売り
スペインに新しい家を買って引っ越すことに決めたそうです。
 

100年前の家もリフォームして十分快適に住めるようにする。

そんな家文化の違いも感じました。

 

私が2008年の9月にこの家に来た時、
私はイギリスのことも彼らのことも何も知りませんでした。

英語も本当に拙くて、しょっちゅう聞き間違えたり、
子どもたちの言ってることがわからなくて失敗してばかりいました。

 

ジュディとジェフは、私がものを知らないことを全く気にしませんでした。

イギリスのことも、学校行事も、授業の形態も、
先生としてしなければならないことも、根気強く教えてくれました。

 

そして毎晩の夕食が6時半から7時だったので、
私はその日にあったことをいつも聞いてもらいました。

だから食事が終わるのがいつも一番後になり、
二人はずっと席をたたずに私の終わるのを待ってくれたのでした。

 

英語もどれほど拙かったのか、
自分では今は良くわからないのですが、
「赤ちゃん言葉みたいだった?」と聞いたら
「最初はそうだったわね。すぐに上達したけど」と言っていたので、
そうだったのでしょう。

 

 

私が今、「わからない」「できない」という劣等感から解放されて、
ただ普通に英語で話すことができるようになりました。
それはこの最もできない時にジュディとジェフと暮らして
たくさん話したことにあると思います。

 

できないことを恥じない、恐れないでいられる環境は、
まさに幼い子供が育つ環境そのものだったと思います。

 

2才、3才の子供が、自分の言語能力の優劣を気にするでしょうか?

文法的間違いを気にするでしょうか?

ましてや発音の悪さなど気が付くことも無いでしょう。

 

そして自分の知っている精一杯のことばで

全身を使って自分の見た、聞いたことを伝えます。

そうやって話すからこそ、自由に自分の思ったままを
話す力が育っていくのです。

 

私はあまりにも英語ができなかったけれど

子どものように恐れずに自分の感動を伝えたい、
という気持ちは育っていたのだと思います。

それがセルラスの多言語活動で培われていた
人間や世界に向かい合う態度だったのだと思います。

 

そして8年後の今思うのは、英語が全然できないままの私で
この家にホームステイできて本当に恵まれていたということです。

 

私にとってイギリスや英語について知らないことは
恥でもなんでもなく、ただ興味津々なことでした。
 

テレビの話や二人の仕事の話、子どもたちを育てた時の話など、
何でも話を聞くのが楽しくて仕方なかったし、
その時英語ができていたかどうか全く関係なかった。
 

小さい子どもと、全く同じ状態だったのだと思います。

 

ホームステイした1年で赤ちゃんの私を受け入れて
幼時から大人(?)になるまでここで育ててもらったのだと思うと、
今でも感謝でいっぱいになります。

 

生活の色々、宗教や歴史の話。
年中行事や結婚式。
出産祝い、お葬式の時にどんなことが起こりどう行動するのか。

そう言う話を折に触れて二人は興味深く丁寧に教えてくれました。

 

その国の文化や歴史の背景を知っていることが、
普段の会話の中でどれほど役立つかわかりません。

 

私は子どものように何も知らない(できない)自分を受け入れられたし

見聞きするもの、教えてもらうことの全てを
子どものように好奇心いっぱいで受け取ることができました。

 

子どものようだったからこそ、
ここで育つことができたんだと思います。

 

できないことを受け入れられたからこそ、
新しいことばや考え方を自然に身に着けられたのです。

 

そう思うと、何もできない状態で
子どものように二人に育ててもらえたことは
本当に幸せだったと思うのです。