今回は、東京の中心部渋谷にある渋谷城跡に行ってきた報告です。


私は、しっかりとは見ていないのですが、某国営放送の「ブラタモリ」で紹介されたようなので、ご存知の方も多いと思います。


 



渋谷城は、現在、渋谷駅東側のヒカリエ、クロスタワー(旧東邦生命ビル)、渋谷警察署を含む一帯から金王八幡神社まであたりの広大な地域にあった渋谷氏の居城でした。


地形的には東京の中心部にあった淀橋台地が新宿御苑あたりから流れる渋谷川によって削られた谷を利用した台地の先端の崖の上に築かれたとされます。防御上と河川による物資運搬の両面で便利だったと思われます。


渋谷駅付近が谷だったことは東京メトロの銀座線渋谷駅が高架上にあるのに、銀座方面に出発したとたんにトンネルに入ることからも想像できますよね。


 



現在の渋谷川は上流が下水道化されて、水がほとんど流れてこない川となっていますが、写真の新並木橋より下流には高度処理した後の下水や湧水が流され、比較的きれいな川となっていますが、写真は新並木橋から上流を撮ったので、水が流れていません。




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さて、渋谷城は、平安時代の末期から室町時代の初期くらいまであったとされます。


元は、東北地方の「後三年の役」で源義家の部下の平武綱が活躍し、河崎土佐守基家という名と武蔵谷盛荘七郷(現在の渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布など)を賜ったことが始まりです。


源義家は、「基家の勝利は彼の信奉する八幡神のご加護なり」として基家の居城内に「八幡宮」を移築したといわれています。この神社が現在の金王八幡宮です。


その後、基家の子の河崎重家が御所で盗賊を退治し、その手柄によって「相模国高座郡渋谷荘」(現在、小田急江ノ島線に高座渋谷駅があります)と「渋谷」という姓を賜りました。このことにより武蔵谷盛荘も渋谷と呼ばれるようになり、その城も渋谷城と呼ばれることになったそうです。


すなわち、渋谷というと地名は神奈川県のほうが先で駅名は東京の渋谷が先だったということになりますが、面白いですよね。


ちなみに、川崎市の川崎は川(多摩川)の崎(洲:デルタ)ということから名前がついたようですが、河崎基家はこの地域(現在の川崎区)で開拓をしたことから河崎という名をもらったようです。昔は住み着いたところの地名を名字にした例が多いですね。


 



八幡宮が「金王八幡宮」と呼ばれるようになった由来は渋谷重家の子として1141年に生まれた渋谷金王丸昌俊(しぶやこんのうまるしょうしゅん)であります。


金王丸は1156年の「保元の乱」の時に源氏の棟梁、源義朝の元にはせ参じ、大功をたて名を轟かせています。しかし、3年後の「平治の乱」で源氏が平氏に敗れ、義朝は殺されてしまいます。その後、金王丸は剃髪し、名を土佐坊昌俊と改め、20年以上、義朝の菩提を弔いながら義朝の遺児の頼朝、義経を影で支え続け、頼朝の挙兵にはせ参じ、源氏の勝利に貢献しました。


しかし、その後、義経に謀反の疑いがかかると頼朝は土佐坊昌俊に義経を討つことを命じますが、そんなことはできない昌俊は、自ら義経に討たれる道を選び、立派な最期を遂げています。


そんな金王丸は「平治物語」、「源平盛衰記」、「吾妻鏡」、「平家物語」に描かれ、江戸時代には、歌舞伎や浄瑠璃のヒーローとなっています。現在、彼の浮世絵が神社の宝物館に展示されています。




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なお、現在も渋谷のヒーローとして、毎年「渋谷金王丸伝説」が市川染五郎らが公演しています。今年も1127日に催されるようです。




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それでは、渋谷城と言っても、残っているのは金王八幡神社だけですが、いくつか写真を見てみましょう。


まず、南側方面からの神社の入り口です。




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立派な石柱もあります。




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ところで、金王八幡宮の社殿および門、そして渡り廊下は下に示されている通り、渋谷区の有形文化財に指定されています。




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その有形文化財の門ですが、江戸中期の建立で何度かの修理を経て、今日に至っています。




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門をくぐると正面がこれも有形文化財の社殿ですが、背景にそびえる渋谷の高層ビル群が妙なコントラストですね。




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下の写真の背後にあるのは有形文化財の渡り廊下ですが、その前にある樹は、源頼朝が「忠節を尽くした金王丸の名前を後世に残すべし」との厳命を出し、鎌倉亀ヶ谷の自分の屋敷にあった「憂忘桜」を金王八幡宮に移植させ「金王桜」と名付けたものです。


江戸時代には江戸三名桜と称されています。一枝に一重と八重が混ざって咲く珍しい桜だそうです。




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社殿の左横に唯一、渋谷城がしのばれる砦の石が置かれています。


ちなみに渋谷城は、室町時代の1524年に上杉氏と北条氏の合戦のおり、北条氏の別動隊に焼き払われたとされます。




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最後に西側、明治通り側の入り口付近とその反対側の明治通りや渋谷川方面の下り坂です。




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以上、渋谷城跡の報告でしたが、実際は渋谷金王八幡宮の報告って感じでしたね。