前回の続きで、3月の3連休に出かけた米沢・下越の旅の報告です。

2日目、米沢から新潟県の100名城82個目のスタンプゲットのために新発田城に向かいました。

 

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新発田城、立派な構えですが、後方は自衛隊に占領されていて残念至極。「返還してくれ」って感じですね。

 

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新発田で一番人気?ラーメン屋「和玄」。待ちましたが、おいしくいただきました。

 

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新発田藩下屋敷庭園 清水園。静かで落ち着く雰囲気で、良かったですよ

 

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併設の足軽長屋も見学できました。

 

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次に阿賀野市にある水原(すいばら)代官所に行きました。水原代官所は1746年に幕府直轄領の代官所として、水原城館跡に建てられたものです。ここでは、係りの方が、水原地域の豊かさや身分に関係なく学問も教えた代官所のことなど、詳しく丁寧に説明してくれました。

 

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明治維新後、豊かな水原地区に設置された越後府(政庁)跡、当初、新潟県は水原県といわれていたそうです。(日米修好通商条約により開港した新潟が次第に中心地となり、新潟県となったらしい)

 

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さらに南に7、8キロ行った安田城跡です。街中の城跡によくあることですが、体育館、図書館など公共施設といっしょの区域になっています。

 

この日は天ヶ瀬温泉に宿泊。一人旅でしたが、夜、朝とも部屋食でゆっくりできました。

お湯も良かったです。

 

3日目。

 

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まずは、新潟県の北端の村上市にある村上城です。七曲りの道を登りきったところに四ツノ門があり高石垣を誇る山城ですが、石垣が立派に残り、眺めも良い(監視ができる)見ごたえある城です。街のそばにあるので、多くの人が、登っていました。

 

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次に南に10キロ程の平林城。国の史跡ということで探して行ったのですが、看板もひとけも無いので、ちょっと不安になりましたが、車を停めて、林を進むと意外と整備された城跡が迎えてくれました。詳細は別途、報告したいと思いますが、平林氏が開き、戦国時代は色部氏が支配していたようです。

 

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さらに南に10キロ程の胎内市にある三浦和田氏の嫡流、中条氏の居城、江上館。残念ながら資料等がある「奥山荘歴史館」、冬季は閉鎖ということで人の気配なし、館跡の見学のみ。

 

そこに、平林城跡で唯一見かけた人(女性)が、自転車で来られて、思わず声をかけてしまいました。

なんでも、上杉氏や最上氏がお好きで大阪からわざわざ来られて、列車やレンタサイクルを利用して、地元の図書館で調査してから城を巡られているとのこと。下越のお奨めの城跡として、村上市の大場沢城が行く価値があると、教えてもらいました。残念ながら時間が無くて今回、行けませんでしたが、次回は必ずと思っています。それにしても、あまり有名でない城跡で、同好の方とお話ができるって、本当にうれしいことだなとつくづく感じました。お名前も聞けませんでしたが、また、どこかでお会いできると楽しいなって思っています。

 

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この後、2時間かけて米沢に戻り、残り時間を使って、まずは直江石堤。予想以上に立派で大きな石堤にびっくり。

 

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上杉鷹山が恩師、細井平洲を案内し、休憩、対談した普門院。

ところで、鷹山公の名言「為せばなる。為さねば成らぬ何事も。成さぬは人の為さぬなりけり」よく、母親が言っていたことを思いだします。私は人生において、やりたいことや考えたことは、口にだして実現することを心がけてきたつもりですが・・・悔いのない人生をおくりたいですね。

 

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次に堂森善光寺に行きました。前田慶次の供養塔があります。祠の中には女性ファンからでしょうか。素敵なお供え物がいっぱいでした。近くにあるはずの慶次清水は発見できず。残念です。

 

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最後に宮坂考古館。上杉謙信、上杉景勝、直江兼続、前田慶次所用の甲冑などが展示されていました。

 

以上、米沢・下越の旅のエッセンスでした。

やはり、米沢、新潟ともに上杉ゆかりの地であることを実感。個人的にも乱世に「義」を貫き、生き抜いた家風、信念を持って生きていきたい私としては、大いに魅力を感じます。

新潟の城跡、どこを巡っても、城主たちは、みんな、転封となった上杉に従い、故郷を捨て、会津そして米沢に移っているとの記述ばかり。こんなに慕われる、頼られる人物になりたいものです。