久しぶりに登城報告をしたいと思います。

 

だいぶ前のことになり、少々、あやふやなところもありますが、4月に登城し印象に残った広島県竹原市にある安芸賀儀(鍵)城の報告をしますね。

 


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賀儀城は、沼田小早川氏の一族の浦氏の居城で、小早川水軍を率い毛利家の重臣となっていた浦(乃美)宗勝の時(1565年ころ)に本格築城(標高20mほど)されたようです。

 


ご存知の方も多いと思いますが、乃美宗勝は、作家である和田竜氏の『村上海賊の娘』に禿げ頭の古強者として、登場、活躍しています。 


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ついでに、さらに話がそれますが、源頼朝の挙兵時から仕えた武将に相模中村党を率いた土肥実平(JR湯河原駅前に実平夫妻の銅像があります)と嫡男の遠平がいますが、遠平が相模早川荘の小早川村に居館を築いたことから小早川氏を名乗っています。

 


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そして、平家滅亡後にその功により安芸国沼田荘の地頭を命じられ、遠平の養子、景平が赴き、沼田小早川氏となっています。

 

このように地名や姓名のつながりがわかるのも歴史の面白いところです。

 

 

 

さて、話は戻して、いよいよ登城です。

 

海に飛び出している半島という感じを思い起こさせますね。

 

海岸の逆手の北側から、城内に入りますが、本来の登城路とは思えず、よくある堀切跡を歩道にしてある感じでしょうか。
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ちょっと、登ると、見張り番がいたような場所があります。
 


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さらに少し登ると二の丸です。そんなに広くありません。

 

わかりにくいですが、北側は土塁があったような痕跡があります。

 


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そして二の丸の南側に位置する上の段が本丸跡と見うけられます。結構、広くて公園って感じになっています。

 


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南側(瀬戸内海側)からは、広く瀬戸内海が見渡せます。航行する船を見張っていたのでしょうね。 
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この南側のすぐ下には狭いですが、帯曲輪的なものが見られます。

 


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そして、西側の眺めは、砂浜と床浦神社が見えます。

 


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また、本丸と二の丸をつなぐあたりに虎口らしきところとそこから西側手に降りる通路らしきものがあります。

 


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その道を降りると、道路に出ますが、その先には、先ほどの床浦神社(別名:海上大明神)が鎮座しております。この神社は、宗勝が賀儀城を築城するときに城山にあったものを移したといわれています。

 


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神社に行ってみましょう。歴史を感じる神社ですね。

 


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海に向かって、鳥居があります。昔は船でお参りに来たのでしょうね。 
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神社側から見ると、緑の半島のような丘が城山(賀儀城)です。

 


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また、海に飛び出た防波堤から見ると、半島の下に舟隠しだったと思われる洞穴が見られます。何か、わくわくしますね。干潮だと覗けたようですが、タイミングが悪く、残念でした。

 


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今は静かな海城でしたが、海上交通が主だった往時は、床浦神社もあり、さぞにぎやかだったことでしょう。

  

水軍好きな人はぜひ、立ち寄ってみてほしい城です。