今朝書いていました「聞く」の続きです。

パソコンから流れてくる英語を聞く時に、わたしは頭を音が出てくる方へ向かって動かしているということに気づきました。








それに気づいたので、2つの実験をしてみました。

まず1つ目は、自分がしている動きを尊重する方法を取ってみることにしました。

頭が脊椎全体の上で動けるようにと思いながら、頭をパソコンに近づけて、音を聞いてみる事にしました。

何もしないときよりは良いような気もしますが。。。といったところでした。


2つ目は、アイデアを変えて、

音がする方に自分が近づいていくのではなくて、音が自分の方に近づいてくる!というアイデアを試してみました。

なんとなく、聞きやすくなったような気がしました。

ここまで、実験をして朝は終わりました。



夕方、朝のことが気になっており、もう一度実験をしてみました。

朝はどんなやり方をしようかということについて考えました。

なんだかもやっとして終わったので、どうしてこのことをしたいのかをもう一度考えてみることにしました。

何か問題があってこれを続けているのだっけ?と考えた時に、「ああ、問題なんてなかったんだ」と思いました。

英語を聞こうとしている。頭は前に出ている。英語は聞こえている。

それなのに、わたしは、頭は脊椎全体の上で動ける方が良いということを知っているから、英語を聞くことでもそうであると決めつけて、命令をしていたのかなと思いました。


村から都会に出て、よい機械を手に入れて村に持ち帰り、みんなにこれがいいんだって、これを使えって!と。

村の人たちから、俺たちの気持ちを踏みにじるのか!?そんなこといったって、今までだって上手くいっているし、なぜそれを使わなければいけないのだ?と言われている絵が浮かびました。


そこで、もう一度、実験しました。

今度は、英語が聞こえたらどんなことがしたかったのかな?とか、これから行う実験で、動きや考えにどんなことが起こるだろうと考えました。

そして、頭が脊椎全体の上で動けるようにと思いながら英語を聞いてみました。

そうしたところ、次の変化に気づきました。

(前回)英語を理解しようとし、聞き取れたか、聞き取れないかという判断を一生懸命していた。

(今回)音が聞こえたことに加えて、低音が響いているというような音自体の感想をもった。内容についてわからなかった場合は、知りたいからもう一度聞こうという気持ちに変わった。


わたしの中の村人達に感想を聞いてみたところ、これからも実験につきあってくれるということになりました。

おわり。