お父さん
昨日の話を書いてたら、何か色々思い出したので今度はお父さんの話。
僕は大阪の西淀川区は佃の生まれ。
佃煮の発祥の地です。
「えっ?東京の佃が発祥では?」という皆々さま。
チッチッチッチッ。違いますよ。大阪ですよ。
大阪の佃の住人の結構な数が東京に移住したんです。佃煮の文化とともに。
で、東京の佃島が生まれました。
当時の佃煮は現在のものとは違い、すごく濃い味だったらしい。
漁師が、売れない程の小さな魚を濃く煮て保存食にしたことから佃煮ができました。
はい、うんちくりました。
でも今は佃煮の面影は全くありません。
そして、全くそんなことを知らないお父さんは、職種としては微妙に近い乾物屋をたまたまやってました。
じゃことか、しゃけとか、かまぼことか売ってました。
せっせ、せっせと売ってました。
痛風なのにアクセル踏んで仕入れにいくお父さん。
網膜はく離で片目が見えなくなっても病院に行かなかったお父さん。
包丁で指を切り落としそうになってもバンドエイドで済ませるお父さん。
泣き言を聞いた事がなかったなー。
だから僕は心の中で「侍」と呼んでました。
「酔っ払い侍」と。
だって自営業をいい事に朝からビール飲んでるんだもん。
夜帰ってきて「やっと飲めるわー」っていうお父さんにいつもズッコケてたさ。
「あんたが飲んでた10本近い空缶は何ざますか?網膜はく離で見えませぬか?」と。
時はさかのぼります。
僕、5歳の春。
・・・うーん、春かどうかはわからんが、まあ聞こえが良いから春ってことで。
高い所が大好きな僕は、木に登ったり、屋根に登ったりしてました。(←危ないことをよくしてたさ)
家の中でも箪笥に登って、そこからジャンプしてキャッキャ、キャッキャ言ってました。
ある日、箪笥に登っててふと下を見ると、微妙な位置にお父さんが昼寝をしてました。
5歳の僕、考える。
「手前にジャンプして負け犬として生きていくべきか・・・・、父を飛び越えて英雄の道を切り開くか・・・・、否!!後者である!!5歳にして早くも父を超えていこう!!」
僕は強い決意とともに、全筋肉を縮みあげ、開放した。
突然、時間の流れが変わった。
スロー再生のように宙を浮かんでいる僕。
スロー再生のようにお父さんに近づいていく僕。
「あれ?走馬灯?お父さん死んじゃうの?いやいや、僕が走馬灯を見てるってことは・・・あれ?僕が死んじゃうの?」
などとは考えていなかったが、この事は今でも鮮明に覚えてる。
軽く曲がった僕のヒザ。
僕の全体重ののったヒザがお父さんの右頬に直撃した。
完璧なるニードロップ。
実に芸術的だった。
「ハグアッ!!!」
夢みてたお父さん、一瞬にして悪夢へ。
夢みてたお父さん、血だらけ。
血だらけのお父さん、立ち上がる。
血だらけのお父さん、向かってくる。
おびえる僕。
通り過ぎるお父さん。
結局、奥歯が4本折れており、歯茎も損傷してたみたいで部分入れ歯をすることに。
家に帰ってきて怒られると思ったら、その事にノータッチ。
何事もなかったように「今日、何食べたんや?」的な。
「くそっ。侍め。こういうお父さんになってやる。」と心に決めた5歳の春の夜だった。
それから20年もの間、毎日入れ歯を洗う父をみて、「僕のせいや・・・」といつも心の中で呟くことになってしまったさ。
皆も気をつけようね!!