昨日は勉強で忙しくアップできませんでしたが、今日からまた書いていきたいと思います。

これからもちょくちょく休むことがあるとは思いますが

できる限り頑張っていくのでよろしくお願いします。

 

今回は、最近のマイブームである「無知の知」について書いていきます。

全学の祖であるアリストテレスや孔子など様々な人がこの考えを持ち、

そして、「向上するためには欠かせない考え方だ」といっています。

 

さて、では「無知の知」とは何なのか、本題に入っていきます。

無知の知とは、「知らないということを知っている」という意味です。

すべてのことを知っている人はこの世に存在しません。

しかし、すべてのことを知った気になっている人はたくさんいます。

「なんでこんなことも分からんのや!ちゃんと説明したやろ!」

なんてことを言う人はまさにそれです。

説明できていないところがあるから間違えているのに

説明できていないところがあることを知らないから、

全部を説明できた気になっているから、そのような言葉が出てくるのだと思います。

 

相手がよっぽどポンコツだとしても、そんな言葉を使ってはいけません。

自分を棚に上げて相手を落とす言い方だからです。

相手を見下している言い方だからです。

相手に非があったとしても、自分に1ミリでも非があるならそれを直しましょう。

相手のことをどうにかするのは無理だと、アドラーから学んだでしょうから。

 

話を戻します。

知らないということを知り、事実を認め、その知らないことを知ろう

とすることが向上心を生むのです。

知らないことを知らないと認めず、知ろうとすることをやめれば成長はあり得ません。

当たり前のことですがこれができない人は多いと思います。

もちろん僕もその一人です。

というか、ここで「私はそうじゃない知っているしできている」と思った人

その人は知っていないことを認めていない人、認めることができていない人です。

 

無知を認めていない、知らないことを知らない例を挙げていきます。

相手の相談を聞いて「あーわかる」という人

(あなたと相手は違う人なのに全く同じ考えであるはずがない)

相手からの反論を受けたとき一考もせず「それは違う」という人

(すべてのことを知っている自分の考えこそが正しいという考えが根底にある)

話の序盤で「知ってる」と言う人

(少し違う新しい情報かもしれないのに、知っている気になってしまってる)

怒ったり、叱ったり、注意したりする人

(自分の考えが正しいと思っていて、相手に自分の考えを押し付けたい。

相手のことを思うなら、相手の話を全て聞き出したうえで、

その固有の考え方に寄り添った形で新しい情報(気付き)を与えるべき)

よく騙される人

(知らない情報を知ろうとしないからもてあそばれてしまう)

質問が思い浮かばない人

(あれもこれも知っていると思っているから知らないところが浮かばない)

レッテルを張る人、決めつけたがる人

(この人はこうだと決めつけて、知らない一面を見ようとしていない)

 

挙げればきりがないですね。

 

こうはなりたくないので、今から自分が何も知らないのだということを

自分に言い聞かせ、向上心を持って生きていこうと思います。

みなさんも無知を自覚して自分を上げていきましょう!

 

ご精読ありがとうございました。

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