今日も怪しい雲行きですね
いよいよ梅雨入りでしょうか?
個人的には5月の爽やかで穏やかな気候が大好きなので、ちょっと残念
さて、今日は息子ではなく、おじいちゃんの話を書こうと思います。
私の記憶の中で最年長の人たちであり、いま振り返ると、ものすごく私の考え方や人生に関わっていた人たちだなぁと。。。
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私には2人のおじいちゃんがいました。
母方の祖父が亡くなったのは30年ちょっと前で、父方の祖父が亡くなったのは10年前です。
2人は本当に真逆と言っていいほど、対極にいたような人たちでした。
普通に出会ってたら絶対に友達にはなってないだろうな〜って感じ笑。
父方の祖父は、それはそれはそれはそれは(ながっ)猛烈に厳しい人でした。
昔、とっても苦労したので「絶対金持ちになってやるーー!!!」という不屈の精神のもと、それを実現しました。
その成功を手にするためには、涙を飲み、頭を下げ、地面に這いつくばり、血も滲む努力をしたと思います。
ものすごい苦労をした人です。
ただ、いわゆる普通の「優しいおじいちゃん」ではなく、私にとっては怖い存在でした。
挨拶をおこたると、それはそれは劣化の如く怒られ、小学校の通信簿も、もらった日におじいちゃんに直々に見せに行かなきゃいけなかったり。(隣の家に住んでいたので、普段でもめちゃめちゃ顔を合わせます)
基本、敬語だったり、おじいちゃんを前にすると自然と背筋ピン!みたいな。
おじいちゃんとは、まず2人きりで話すこともなかったので、いわゆる普通の祖父と孫の関係ではなかったと思います。
とにかく、家族全員がおじいちゃんの顔色を見ながら生活をするという、今考えると私の父も母も本当に大変だったなと思います。
苦労したおじいちゃんは、
年少者は年長者を敬い、家族を繁栄させ、富を築くこと
がとても大事、という考えの人でした。
でも、そんな怖いおじいちゃんでしたが、たまに見せてくれる笑顔はかわいかったです
一方、母方の祖父は、私が幼い頃に癌で亡くなってしまったのですが、とにかく優しい人でした。
年に3、4回ぐらいの頻度でしか会わなかったと思いますが、母方の実家に遊びに行くときは、おじいちゃんに会えるのが本当に楽しみでした。
母方の実家は、東京で飲食店を営んでいました。
店を切り盛りするのは、いつも明るくてしっかり者のおばあちゃんで、病気がちなおじいちゃんはいつもお店の隅っこで座っていました。
おじいちゃんは、私たちが行くとものすごく喜んで、私と弟を近くの映画館や公園に連れていってくれたり、アイスクリームを買ってくれたり
壊れたおもちゃを持っていくと、必ず直してくれました。
小さかった私は、頭が良くて、とってもハンサムなおじいちゃんのことを博士だと思っていました。
母方のおじいちゃんと過ごした時間はとても短かったし、一緒に住んだこともないので、楽しい思い出しかないのは確かです。
それでも、厳しい人ばかりに囲まれていた当時の私にとって、母方のおじいちゃんは異彩を放っていました。
「こんなに優しい人がいるの!?」って
いま考えると、どんだけ優しさに飢えてたんだ〜っていう話かもしれませんが、今でもおじいちゃんのことを思い出すと心があっかくなります。
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いつも厳しくて怖いけど、そのパワーと強さで家族を守ってくれた父方のおじいちゃん。
病弱で体が弱いけど、いつも笑顔で優しくて頭の良かった母方のおじいちゃん。
真逆のような人生を歩んできたおじいちゃんたちですが、私の中には両方の要素があるような気がします。
そんな事を、最近はよく考えます。
今日はおじいちゃんの話でした。
みなさま、素敵な一日を