これを9月中にあらかた片付けよう笑い泣き


できるかなあ。
不要物も、元はお金だったんだよねえ。
当時は欲しいと思っても今はガラクタでしかない。
でも思い出の物て捨てるの悲しい。

お盆にね、墓所に金物のタライ持ってったの。火を燃やす為の。クマが「ちょうどいいのある!」ゆうて。
その金ダライはアパートの横にあった。
ずっとほったらかしだった。
その時はそのタライに対して何も思わなかった。
だけど、墓所に持ってって、
「来年も使うから」
とそ のまま置いてきた。うちから車で1時間くらいかかる村の墓所。
そのタライがなんだか不憫に思えた。

アパートの横にいたのに、今はぽつんと墓所。夜中も墓所。
タライに感情はないけど、かわいそうというか。
子犬を捨ててきた気持ちに少し似てる。
気がかりになる。来年もちゃんと墓所にいるのかな。会えるかな。
そういう事て、他の人考えた事あるのかな。
例えば、誰かにお菓子とかあげたりして。そのお菓子、おうちに持って帰れば、ワイの知らない所へそのお菓子は連れて行かれる。ワイが見る事のできないその人の家に入る。そして、どのタイミングで食べられて、カラを捨てられるのか、とか。そのお菓子の見る景色だとか行く末だとかが気になる。
ハンカチだった場合、ちゃんと使ってもらえたかとか、もしくは売られたり、捨てられた、あげられた、使ってもらった場合も、いつ捨てられるのかとかのハンカチちゃんの行く末が気になったりね。

ワイも、もらった物とかこの機会に処分していくわけだけど。
あげた人はきっと、行く末なんて気にしてないだろうね。