アンケートサイトのブログから記事移植をしてからだいぶ経ってしまいました。
前回は東京から福岡に帰ってきてパチンコ店でアルバイトを始めたところまででしたね。
時は2000年、20世紀が終わりを告げる、そんな年でした。
バブルは当の昔にはじけ、不景気になっていく世の中。
私が福岡に戻ったのは小渕総理大臣が急死し森内閣が誕生したすぐ後ぐらいでしたね。
森総理大臣、、、。そう、最近女性蔑視発言で東京五輪組織委員会の会長を辞任したあのお方です。
尚、森さん、総理を辞めるのも失言がきっかけでした。懲りないおっさんですね。
閑話休題。
この頃のパチンコ業界は不景気になっていく世の中とは逆行するように売り上げは右肩上がり。
パチンコは盛り上がっていた源さんやギンパラ、花満開や一発台、パチスロは正規の挙動とは違う動きで連チャンする裏返った2号機、3号機に規制が入り一旦苦しい時代が続いていました。
しかし、私が業界に足を踏み入れる少し前ぐらいからですかね。
パチンコはCR海物語3Rというモンスターマシンが、そしてパチスロは規制の穴をついた大量獲得機やAT機が登場し、台の射幸性が上がると同時に再び盛り上がりを見せ始めていました。
私がアルバイトで入った店も、海物語が3BOX、パチスロは台数が少なかったのですが、一応最新台も導入されていました。
でも、このお店の主力マシンは最新の人気台ではなかったのです。
パチンコだと、羽モノのファインプレー、権利物のミルキーバーやギンパラが現役で稼働し大人気。
パチスロは、2BOXしかないのに、なんとその1/4(あれ?半分だっけ?)が1.5号機のニューペガサスという10年前の台で、その台が朝から満台になるような特殊なお店でした。
神奈川の大学時代に通ってた店に2台だけ置いてあるのを見たことはあったんですが、1列丸々ニューペガってのかなりビックリしました。
そんなお店が最初の職場ということもあり、台の故障はしょっちゅうで、メンテナンスに関してはかなり鍛えられましたね。
ちなみに、当時近隣にはパチンコ店が5店舗ありましたが、駅前の1店舗を除いてどこもお昼過ぎには稼働率8割超えてました。
高時給でアルバイトを雇えるわけです。
とまあ、このようなクソ忙しいお店でパチンコ店での接客や機械のメンテナンス、新台入替作業などを学び9カ月働きました。
最初の半年で両親に借りた借金を返し終わり、その後2カ月で貯めたお金と孫に甘い母方のお爺ちゃんの力を借りて車を購入。
そのタイミングでちょうどグランドオープンに備えて正社員を募集していた隣町のパチンコ店に就職が決まり転職することになるのでした。
今日はここまで。