夫が51歳の若さで亡くなった時も、
自分が62歳で胃がんを告知された時にも、
私は 「どうして私が・・・」とは思いませんでした。
誰かの身に起こりえる事は、
私の身に起こったとしてもなんの不思議もありません。
私は、先天性内反足 という障害を両足に持って生まれました。
この障害を持って生まれる確率は新生児の0.1%以内と言われています。
私のように、かなり重い変形と、両足に障害があるというのは、
その、0.1% の中でも、余り多くはないような気がします。
私の場合は、この障害のメインである足首の変形に加えて、膝より下の筋肉が発達せず、そこが、ひじから下の腕より細いままです。客観的に見て、よく、立って歩く事が出来ると思う程、細いです。
生後1年に満たない頃から、8歳ごろまで母は私を負ぶって病院に毎日通い詰めでした。晩年の母を苦しめた腰痛は、これが原因だったと思います。
20歳になるまでに、全身麻酔をしての10回の手術の御蔭で、どうにか、66歳になる今でも自力で歩いて生活できますが、精神的にも身体的にも、ちょっとつらい経験をしたかなと思っております。
物心ついたころから、自分の足の障害の事を思うと、母に対して申し訳ないという思いで悲しくなりました。
「どうして私はこんな足に生まれてしまったんだろう?」という思いは勿論ありました。が、答えは、無い。
母や父が悪いわけではない。自分の所為でもない。
いわば、確率の問題ではないか?なんて思いました。
たまたま私の身に起こったと。
何で私が? と思う事は、「では、他の人だったら良かったの?」と言う事です。そういう考えは望んではいません。
人生には、誰の所為でも、何のせいでもない、こういう「不運」があるものだと、思うようになりました。第一「不運」かどうかも分からない。
「なんで私が」 と考えるのは不毛な事と思います。