12年前に見送りました | よきかなのブログ

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よきかなは、自身が癌患者ですが、配偶者を癌で失う経験をしています。


夫は、二年間の鬱病の治療中に、末期の食道癌が見つかり、いきなり余命半年を告知されました。

(本人には余命の事は告げていません)


夫に内密に病院に呼ばれた私は、医師から、癌は大きく、出来た場所も悪いので、手術はできないと言われました。手術が出来なければ、余命は半年。それどころか、侵襲していると思われる血管が破れれば、今日にも死ぬ可能性があるとも言われました。化学療法や、放射線治療もあるが、数カ月の延命しか期待できない。これから、癌が肺におよぶ。肺に転移した癌が進むと、非常に苦しくなるので家族も覚悟するように。


いきなり、希望のひとかけらもない余命宣告をされて、茫然としましたが、鬱病の夫にどのように告知すべきか医師と相談し、食道癌であることは告知するが余命とか、詳細は伏せて、転院先を紹介してもらうことに決めて、病院を出ました。翌々日に夫と二人で、まるで初めて告知を受けるような顔をして病院に来ないといけません。


告知を受けた後、どうやって帰宅したのかよく覚えていません。周りの景色が目に入らず、歩を進める足元の半径60cmくらいのアスファルトの表面だけがよく見えました。あまりに衝撃的で絶望的な現実を突きつけられて、受け入れたくないという思いが、どこかの感覚を遮断したのだろうと思います。線路沿いの道をひたすら歩き、踏切にたどり着いた時、このまま電車に轢かれて死ねたなら、これから起こるだろう恐ろしい事を目撃しなくてもよいのだと、しびれたような頭で考えていました。


茫然としたまま歩いていたら、ばったり夫と行き逢い、ギクッとました。朝、休日出勤のため仕事先に行ったのですが、体調が思わしくないのですぐに帰ってきたとのこと。


「よきかなちゃん、今日は仕事じゃなかったの?どうしたの?こんな時間に」と言われました。「うん、昨日の送別会で飲みすぎたのか、頭痛くなっちゃって早めに帰って来ちゃった」と、とっさに嘘を言う私。そこから家までの100mを夫と並んで帰りました。私の胸は、文字通り「張り裂けそう」でした。


本人は、多少の不調を感じてはいるだろうが、その程度の不調は昔からよくあったと思う。本当に「その程度」の事。でも、その不調の原因のために、この人はあと半年しか生きることができない・・・



二年間苦しんできた鬱病から、やっと抜けつつあるのかなと、希望が感じられたここ数カ月。それなのにあと、半年の命・・・


翌日の日曜日、夫は又「仕事が溜まっているから」と、不調を押して休日出勤しました。私は6月にしては寒すぎる雨の中を、電車で40分くらいの所に住んでいる姉の所に行きました。思いつめた顔の私を見て、姉は「どうした?なにかあった?」と聞きました。


昨日の医師からの告知の内容を話し終えると、私は初めて泣きました。号泣しました。姉は毛布を持ってきてくれて、泣きながら「よきかなちゃん、あんた夕べ寝てないでしょ。とりあえずちょっと横になって休みなさい。」と言って毛布を背中にかけてくれました。



この雨の日曜日の事は鮮明に覚えています。それまでの人生の中で、一番悲しかった日です。そして、それから二年半の闘病生活と別れを経験するわけですが、「一番悲しかった日」が、何百回も更新されました。


この苦痛に満ちた別離と喪失の経験も、なにかしら意味のあることなのでしょうか。そのことを考え続けた死別からの12年間だったような気がします。


時々、夫を見送った時の事、又、そのあとの「立ち直り」についても書いていきたいと思います。



しかし、自分も癌になっちゃって、「立ち直」ってなかったのかな?うーん。