始めに、日本における牛乳生産の実体を動画で学んでみましょう

 

天才!志村どうぶつ園 「牛乳は飲んではいけない」

http://www.youtube.com/watch?v=BsEZhVo1x2M

 

産んだばかりの自分の赤ちゃんを、顔を見ることもなく引き離されたら、

もし、あなたが母親なら、どんな気持ちがするでしょう

畜産農家の方に聞きませたが、牛は屠殺場に連れて行かれようとするとき、

それを察知して、すごい声を上げるそうです

そして、抵抗しながらトラックに積まれ・・

 

まして、自分の子が連れ去られた時、凄いストレスがかかるのは火を見るより明らかです

そうして、乳を出さなくなるまでひたすら搾乳マシンとされ、やがて役割を終えると、肉は低級肉としてハンバーガーチェーンなどに卸され、

脳や脊髄は・・

この続きは次回にします

 

強度のストレスにさらされた牛の乳には、ストレスからもたらされた、

活性酸素が多く含まれることになります

活性酸素の有害性については、みなさんよくご存じと思います

 

僕は、活性酸素もさることながら、

牛乳を飲むとき、母牛の無念、痛み、人間への恨みを知らず意識し、

とても飲むことができません

牛肉もそうです

 

すこし、牛の歴史を紹介します

 

「犠牲」という言葉、よく見てください

二つの漢字で構成されていますが、ともに牛偏です

これには意味があります

 

キリスト教における聖体拝領(ミサにおいて配られるパンとブドウ酒、最後の晩餐に見られる)

クリスマスを1225日にした経緯(ミトラス教で検索してください)などに大きな影響を与えた、

当時、中東はおろか、ギリシャローマ地方まで浸透していた

ミトラス(ミトラ)教は、Wikipediaの「ミトラス教」の冒頭で以下のように紹介されています

「ミトラス教は牡牛を屠るミトラス神を信仰する密儀宗教である。」

 

画像「牡牛を屠るミトラス」をご覧ください、これが「太陽神ミトラス」です


太陽神ミトラス 
日本にも伝わり「弥勒―ミロク信仰」となったという説も有力です

 

京都には、日本三大奇祭に挙げられる、「牛祭り」があります

毎年1012日の夜に広隆寺の境内で執り行われているのですが

明治以前は大酒神社の祭礼でありました。

京都市登録無形民俗文化財に登録されている貴重なお祭りです。

祭礼は、まず牛に前後逆さまにまたがって奇妙なお面をつけた

「摩多羅神(マタラガミ)」が登場するシーンから始まります
今では誰もこの奇祭の意味を知ることはないのですが、

広隆寺や大酒神社を創建した秦(はた)氏がもたらしたものであることは間違いありません

 

聖徳太子の時代には、四天王寺の近くで、「牛市」が開かれていたという記録もあります

前回の記事に書いたように、日本人は牛を食べませんでした

ではなぜ、牛市が壮大に開かれていたのか?

もちろん、「犠牲」にするためでした

宗教儀式に不可欠だったのですね

これを見ても、かなり前から、
本にミトラス教が伝わっていたことがわかります

ミトラスーミトラーマイトレーヤー摩多羅(マタラ)―弥勒(ミロク)
日本で、弥勒菩薩って、どんな存在でしょうか
興味がある人は調べてみてください

 

最後に、ミトラス教を真っ向から否定した、
ゾロアスター教の逸話をご紹介しましょう

ゾロアスター教はキリスト教や仏教などに大きな影響を与えたことで知られます

また、善と悪、光と闇の二元論を基本とします

 

さて、牛の魂がアフラ・マツダ―(宇宙神)に、悲惨な現状を嘆き救済を訴える。

これに対してアフラ・マツダ―は、
牛は人間のために創造されたのであり、

その人間に家畜を酷使することなく牧養する
ことを教えるのが、ゾロアスターである

(ゾロアスター教の聖典「アヴェスタ」「ヤスナ29章」

 

私たち人間は、なんでも食べる「雑食」と言われます

「草食」であり「肉食」、「魚食」なのです


植物も動物も魚たちも、すべて生き物です

ご飯を食べる時に、手を合わせ「合掌」するのは

自分のために死んでくださった

すべての生き物「お米などその代表ですね」に対し

哀悼と感謝の念を込めて

「頂きます」

と言い

食べ終わった時、再び手を合わせ

「ごちそうさま」

と唱えることこそが、日本人の宇宙感であり、食文化なのです

 

日本食が世界文化遺産になった、などと浮かれている人たちが多いですが

 

その前に

 

日本人自身が
古来より綿々と受け継いできた

世界に誇るべき「日本人の食文化の本質」

今一度見つめ直すことが
なにより大切なのであり

 

この

すべての食べ物に対する、哀悼と感謝を示す

日本人の宇宙感こそを、

世界普遍の文化遺産とすべきでしょう