13年間続けてきたワールド・ビィジョンへの支援を

終わらせた。地域の経済、職業、健康、子供の支援を

行っているNPO法人の活動に参加したのだった。

バングラデシュの当時4歳の女の子が私の担当、私に

女の子ができた!

 

きっかけはバリに陶芸研修に行った事、ホームステイ先

そこには日本人の女性が孫と二人のメイド3匹の大型犬

と住んでいた。

身の回りの事食事全てそのメイド達がやってくれ2階の

バルコニーから下を見下ろすと何と私は女王様?

いい気分になっていた(´・д・`)

 

ある日17歳ぐらいのメイドと話す機会が有った、彼女曰く

「あなた先生私馬鹿」「何言ってるのあなたはちゃんと

ここに住んでいろいろお仕事やってるじゃない」「、、、」

「そんな事言っちゃダメよ」と言ったものの

良く聞くと学校にもろくに行かれなかったので買い物に

行っても計算できず両替に行くと必ず騙される、と

そうかそれで馬鹿だなんて言われていたんだ!

 

途上国の中には話には聞いていたが学校に行かれない

子がまだ沢山いるのが現実

何と日本とは違う事か?

そんな子の為に学校を作ろう!帰ってから考えた、、、

当然学校は無理、私に出来ること いろいろ調べた

途上国支援に行き着いた。私に合いそうなNPO法人だ!

 

そこで始まったバングラディシュの女の子との交流

チョッとした花の絵が彼女からの手紙

ベンガル語?言葉も文章もわからないながら私の拙い英文を

現地の事務所が翻訳、数年間は私からの一方通行

手紙に入る程度のプレゼントが唯一、二人の支えだった。

しかし10歳を過ぎた頃から手紙の交換が彼女の夢や喜びの

内容へと変わり私も彼女の手紙が待ちどうしくなった。

それなのにコロナで全てがストップ、3年目に思い切って

手紙を書き可愛いいマスクとともに送って見た。

なんと1年後に返信あり、手紙マスクを喜んでくれた。

急いで又手紙を書いた。この春のことだ。

 

が!先月WVから届いたメール

彼女の家族が支援地区を離れた為支援が打ち切られたとの事

考えても見なかった!

今迄のいくつかの資料、次の支援者の候補は送られてきたが

情が移るとはこのことか? では次、なんて考えられない

考えた末13年間の支援を終了した。

最後に出した私の手紙の返事は従姉妹から来た、彼女から

頼まれたとのこと「手紙、プレゼントを喜んでいた」と

私は彼女の味方です!と 何があったのか

”もう分からない”

あの時のメイドの子と同じ年になったのだ、、、

彼女のこれからが幸せでありますように!