今回も前回に引き続き、英語の言葉を見ながら心の話をしていきたいと思います。

 

今日の言葉は

 

boundary - 境界線

 

この言葉と概念を初めて知ったのは、アメリカの大学生活をしていた時でした。

 

自分の「意見」がはっきり言えるだけでなく、「感情」についても言葉で表現できる人たちと出会い生活する中で、

 

日本人として自分は「境界線を引くこと」を苦手としていたことに気づきました。

 

カウンセリングの授業でも「境界線を引くこと」「境界線を尊重すること」を学びました。

 

多くの人間関係のこじれが、この「境界線」の問題であること。

 

自分が家族を持って、母親の目線から社会を見ても、多くの家族が境界線の問題を抱えていることが見えてきました。

 

境界線については、

 

・自分の要求をきちんと伝えられているかどうか(ノーも含め)

・相手の要求を尊重できているかどうか(ノーも含め)

・責任の所在を明らかにできているかどうか(特に感情面)

 

などが目印になります。

 

例えば子育てにおいては、境界線がちゃんと引けている関係性であれば

 

「ノー」と言っても、親から怒りや、いかにも傷ついたという態度を示されることがない

 

だけど、境界線が侵されている関係性(親が支配的)の場合は

 

自分のやりたいようにするためには、表面的に従っていればいい →境界線を持たないよう訓練されている

 

となっている場合があります。

 

親の機嫌を伺う生活をしていた人は、愛着と安全に対する問題を持ったまま成長し、そうなると、他者に対しては責任を感じるのに、自分自身の必要には応じられないようになってしまいます。

 

だから、家庭という場所では、

例えその必要が「親の都合や家族の流れ」に沿わないものだとしても、 それらの必要を言葉で表現するように促すことが、親として子供にしてあげられることで、それは子供の人生において大きな財産となります。

 

具体的にどんなことができるかというと、

・自分の怒りについて話させる 

・自分の悲しみ、喪失感を表現させる (元気付けたり、その感情から脱出させようとはしない) 

・疑問に思うことは質問させる(批判しない) 

・落ち込んでいるように見える時、何を感じているか尋ねる 

・ネガティブな感情を言葉で表現するよう助ける →聞いたことはきちんと受け止める

 

家庭内で、 「愛を失うことなしに、自分にとって大切な人と違う意見を持つ練習」 をしてきた子は、同調しないからといって捨てられることを恐れずに育つので、社会に出た時も、自分の意見をきちんと建設的に伝えやすくなります。

 

そして、家庭は、子供が最初に責任について学ぶ場であるのが理想的です。

 

安全な苦しみを経験させること。子供の行動に対する、年相応の結果を体験させること。

 

これらを幼少期から家庭という安全な環境の中でさせてあげることで、子供は

 

・人生における私の成功や失敗は、私次第である 

・慰めや矜持を他者に求めても良いが、自分の選択の責任を負うのは自分だけである 

・大切な人から深い影響を受けるが、私の問題は私の責任であり、他者のせいにしてはいけない

 

ということを学びます。

 

境界線の引き方は、1日の座学で学べるようなものではなく、安全な練習の積み重ねによって身についていくものです。

 

自分の心を守るための境界線も、自分の人生に責任を持って生きるための境界線も、まずは大人が見本を見せてあげることが大切ですが、日本の社会構造上、現状なかなかうまいことこの境界線が引けていない大人が多いように感じます。

 

家族、親子の絆やつながりというものが、情緒に頼っている場合が多いので、そうなるとお互いの言いたいことに耳を傾けたり、自分の意見を建設的に述べたり、話し合ったり、という関係性というよりは、誰か一人パワーがある人がいて、その人に従順に従うような構造だったり、みんなが顔色を伺いあったり、態度で不快な感じを示したりと、主体的に感謝で成り立つ関係性ではなくなってしまいます。

 

でも社会では、まず家族で問題を解決しろ、子供の問題は親の責任だ、みたいな空気が蔓延しています。だから、成人した人が問題行動を犯した時でも、日本ではまず実家が特定され、攻撃の的となります。芸能人でも、二世の場合は親が出てきて子供の不祥事に言及します。

 

家族という単位で責任を負わないといけない雰囲気はあっても、実際は家族の中でもどんな風に境界線を引いて生きていけばいいのか分からないままの人が多いため、家族の中でもいびつな人間関係が存在し、それが表面化する極端な例が、引きこもり(自分を守るための最後の物理的境界線引きの手段)だったり、精神的に病んでしまったり、怒りが外に向かってしまうと、最悪の場合親を殺してしまったり、そこまでいかなくても暴力的になったりします。

 

日本では、実は家族間の人間関係で悩んでいる人がとても多いのですよね。だけど、家族の中の人間関係を解決できるためのカウンセリングなどが整っていないため、家族はどんどん孤立化していき、結果的に社会全体の生きづらさにもつながっているように思います。

 

境界線を引く=何だか冷めた関係性になるんじゃないかと感じる人もいると思いますが、実はその逆で、境界線を引くこと、尊重することで、人間関係はより豊かになると確信しています。

 

まずは、自分はどの範囲で境界線に対して葛藤を感じるかを確認してみましょう。

 

 

そして、その原因は、自分の育った環境なのか、元々の気質・性質に由来するものなのか、なんで自分はそうなったんだろうと追求してみましょう。

 

自分の葛藤する境界線のパターンと原因が分かったら、最後は自分の行動をどう変えていくかという実践に移行することができます。

 

大抵の場合、迎合的な人と支配的な人が依存関係にあって家庭内に存在している場合が多く、迎合的な人は回避的でもあるためなかなか外部に助けを求めることも、変化への一歩を踏み出すこともできない状況にいます。そして、支配的な人は、相手のニーズに関しては無反応である場合も多く、自分が相手の境界線を侵害しているのだという意識もない場合がほとんどです。

 

一見外から見たら、足りないところを補っているようなバランスの良い関係(持ちつ持たれつよね〜みたいな)に見えても、夫婦のどちらか、親子のどちらかが無理をしていることも多いです。

 

このループを抜け出して、迎合的な人、回避的な人が自分の人生を生きている感覚を取り戻し、支配的な人が相手の境界線の範囲を尊重できるようになり、愛する責任に関しても主体的に行動することができるようになれば、その関係性はとても気持ちが良い感謝の循環の関係になるでしょう。

 

そのためには、まず境界線について知った人がアクションを起こしていくしかありません。相手を変えることはできないので、まずは自分の行動、リアクションを変えていくのです。

 

迎合的な人の場合それはとてつもなくハードルが高いことに思えるかもしれませんが、実際にチャレンジしてみると、とても良い結果につながったという場合も多く、今まで支配的だった相手が境界線について知ることができたというケースもあります。

 

境界線の引き方については、いくつかアプローチの仕方があり、その状況に応じて対処の仕方も変わってくるため、専門家の助けを借りる必要がある場合もあるかもしれません。

 

日本で、少しでもこのboundaries(境界線)についての認識が広がり、互いにニーズを伝え、尊重できるような人間関係が増えていってほしいなと切に願います。