前回に引き続き同じ話題についてですが・・・
議論の中で子供のSNSの使い方とか、行き場のない子を助ける活動とかが主に語られているけど、
なんか、そもそもなぜその子たちがそういう立場に至ったのかというところまで掘り下げて語られていない気がするのです。
「思春期の子なら誰だってこんな気持ちになりますよね。」「家でも昔からあるし、普通にあることですよね。」
本当にそうなんでしょうか。
親に反発する・・・
親の元から消える・・・逃げる
これってかなりかけ離れていると思います。
散財できるお金があって、放蕩している子達ではありません。(中にはそんな子もいるのかもしれないけど)
全く知らない異性の大人にさえ身を委ねてしまうような、それくらい、理解されることを切望している子達です。
そんな状態が、本当に、「よくあること」で、ただ単に「SNSがあるがゆえに増えている事例」なのでしょうか。
家出した子供たちは、連れ戻されたら、それで物事は解決するのか・・・ほとんどの場合しないと思います。特に、親が、頭ごなしに叱ったり、「恥」や「迷惑」というような言葉を出すような場合は、子供はさらに、心を閉ざしていくと思うのです。
大事なのは、その子達を元の環境に引きずり戻すことではなく、戻った時に健全な家庭環境があるかどうかをまず確認し、親のそれまでの子供への接し方などもよく見た上で判断して子供を元に戻してあげること。そうでないと、状況は家で以前より悪くなる可能性さえあります。
子供が帰る事ができる場所の確保。これが大切なのに、社会ではまだ「他人の家のことに口を出すな」という風潮があるため、なかなか親の方の問題を指摘する事ができずにいます。
アメリカインディアンの教えにこんな言葉があります。
批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います
ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります
ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります
はげましを受けて育った子は自信を持ちます
ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります
公明正大な中で育った子は正義心を持ちます
思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます
「アメリカ・インディアンの教え」加藤諦三 著
子供は、思春期になったからいきなり非行に走ったり、親元から逃げ出したりするのではないと思います。
必ず、そうなった経緯があるはずで、そこは、家に戻った後の子供達の未来に大きく関わる点で、家出してどこに行っていた、とかいう事以上に、議論されるべき点ではないでしょうか。