よく「笑顔の絶えない家庭を作ります」なんて聞きますが、
はっきり言って、無理ですよね(笑)
我が家での現実は、いい時で 笑い7:泣き1:喧嘩1:普通1といったところでしょうか。
でも、振り返ってみると、最近外で見る子供たちは、笑顔より、無表情に近い淀んだ表情が多く見られるようになってきたように感じます。
一昔前、私が子供の頃は、もっと、笑っている子供が周りに多かったような気がします。というか、子供の頃からそんなに考えることが今の子供たちのようにはなかったので、思いっきり遊ぶことが許されている時だけ自分を解放して笑ったりはしゃいだりする、というような感覚ではなく、デフォルトが、「楽しい」だったような気がするのです。
今は幼少期から習い事をする子も多く、小学生になると週3日以上は習い事や塾に放課後の時間を当てる子も少なくありません。高学年になると、中学受験をする子も以前より多く、子供達はいつ遊ぶ時間があるの!?と思ってしまいます。
うちでは、ルールとして、
・低学年のうちは習い事は2つまで(自分が習いたいと言った場合のみ)で、塾には行かない。
・習い事がない日は思いきり遊ぶ
と決めています。
習い事の日は、生き生きしていてレッスン日をもっと増やして欲しいと言うほど習い事にもハマっているようですが、習い事がない日は学校から帰ると宿題を済ませ気づくと外で遊んでいます。外で近所の友達と鬼ごっこをしたり、石を削ったり、傘で基地を作ったり、雨の日は折り紙をしたり、部屋の中で秘密基地を作ったり、とにかくクリエティブに遊んでいます。
子供のうちは、この、子供が笑顔で遊べる環境というのは、ある程度親が提供してあげなくてはいけないのかなと感じています。
というのは、別に遊園地に連れて行くとか、おもちゃを買ってあげるとか、そういうことではなく、家の中や外で(家の外で自由に遊べる環境はなかなか難しいところもあるでしょうが・・・)、子供が自由に何かをすることを「歓迎する」ということです。
子供が室内で秘密基地を作るときはいつも散らかります。布団を重ねるときもあれば、ピアノの椅子や踏み台、おもちゃ、本、あらゆるものをかき集めて部屋いっぱいに作るときもあります。
そこで「何してるの!」と言うのか「散らかるからやめなさい!」と言うのか、「すごいじゃん!!」と言うのかで、子供の表情は変わってきます。
親に「容認される」ことが子供に与える影響は、私たちが想像する以上に大きいものです。
どんな親も、子供が笑顔でいることを望んでいます。子供の笑顔を奪う要因になり得るのもまた親だということを忘れがちです。
子供の笑顔は、みんなの宝です。家庭で、社会で、守るべきものです。子供が小さい頃から笑顔を失う状況の多くには、身近な大人が関わっているのだという自覚を、私たちはもっと強く持たなくてはいけないのかもしれません。