また1か月が経ちました。

娘に会えなくなってから、半年。


私は相変わらず、物理的そして表面上はとても落ち着いた毎日を淡々と過ごしています。



そして相変わらず、涙を流す日のほうが少ないです。

【無】の私は、最早、涙を流す力さえ失ってしまったのかもしれません。


そんな私に時折訪れる激しい【怒り】の感情。



大切な大切な娘を奪った病気への怒り。


この病気を取り巻く、まるでこの病気の子どもたちを見捨てているのではないかとさえ思える現状への怒り。


娘を助けることができなかった自分への怒り。


どこに向けても何も解決することはない怒り。



激しい怒りの感情にスイッチが入ると、妙に活力が湧き上がり、ますます涙を流すことがなくなります。


そして、そんな自分を俯瞰的に見ていると。


もうこのまま一生、激しく怒り狂ったまま生きていったほうがラクなのではないかとさえ思います。


ホウ素中性子捕捉療法

ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)学会の開催にあわせて、一般向け市民講座が開催されていましたので参加しました。


楽しかった、というと語弊がありますが。

難しい内容にも関わらず、司会の先生をはじめ、どのパネラーの先生方企業の方のお話も大変分かりやすく、BNCTへの理解が深まる良い時間となりました。



現在は切除不能な頭頸部がんのみ保険適用となっている治療です。

娘の闘病中はテント上脳腫瘍に対する治験が行われていたことを覚えています。

テント下脳腫瘍に対しても、理論的には可能であり、海外では実施しているようです。

この4月から膠芽腫の治験も始まっています。

今後、脳腫瘍の治療の選択肢の一つとなるよう、良い方向に向かって欲しいと願っています。


小児脳腫瘍については残念ながら動きはないようでしたが。


小児脳腫瘍、DIPG(DMG)について本気で考えている先生方がこの日本にも間違いなく存在している。


その事実を自分の目で確認できただけでも、この講座に参加してよかったと思えました。


澤村豊先生のホームページ

闘病中は何度開いたか分からないほど読んだ澤村豊先生のホームページ。

しばらくご無沙汰していましたが、ふと気持ちが向いて、久しぶりに開きました。

内容もアップデートされており、そこで、DIPGの全国共同臨床研究が始まっていたことを知りました。


実施施設を見ると、娘がお世話になった病院も参加しており、研究責任医師に主治医の名前を見つけて。


なんとなく、ホッとしたような気持ちになりました。



病気のことを調べている時の自分は、闘病中の自分に戻ったような錯覚に陥ります。

今、この世界に娘の肉体が無いことは理解しているのですが、それでも娘が助かる治療法が無いかと、本気で必死な気持ちで探してしまいます。


娘の肉体がこの世界に存在していないことはハッキリと理解しています。

分かっているんです。

それでも、なんとしてでも、娘を助けたい。

娘の病気を治したい。



他人からみれば、異常としか見えない感情を抱きながら。

その怒りは誰にも見つからないようにと、胸のうちに隠しながら、静かに静かに、激しく怒り狂う私。


この今の姿こそが、まさに異常なのだと常々思います。


時事話

南海トラフ地震臨時情報が発令されました。

闘病中は、今、大きな災害が起こったら、、、と思うと本当に不安でした。


南海トラフ地震臨時情報を境に一気に店頭からお水が無くなりました。


そしてお米の不足。

7月の初旬ころから、なんとなくスーパーの陳列状況からお米の供給が不安定なことを感じていましたが。

地震をきっかけに、お米が全然手に入らないものとなりました。


本当にどうなっているのでしょうか。



お盆を前に、、、

初盆を前に、娘のためにと、葬儀以来となる方が来てくださったり、お手紙や御供物としていろいろなものが届きました。


初盆。

我が家は特別なことを何もせず、いつもと同じように娘に接しながら過ごしました。


なによりも。

娘をご先祖様としてもてなすことは、私にはできませんでした。


「娘の初盆って、一体なんやねん」

と怒りながら。

初盆という言葉に必死に抗いながら過ごしていた私ではありますが。


「初盆やね」

という言葉と共に娘を想ってくださる方の気持ちをたくさん受け取っていくうちに。

節目節目の法要は、残された人間にとって、とても意味のあるものに感じてきました。


長い時間をかけて築かれた形式的にさえ見える法要等は、遺された人にとって大切なグリーフなのかもしれない。


初盆を終えた今は、そう思います。


月命日

夏休み期間中でしたので、月命日の少し前にたくさんの子どもたちが娘に会いに来てくれました。


林間学校の話、夏休みの話。

また少し背が伸びていたり、言葉遣いや挨拶が大人っぽくなっていたり。

嬉しい時間であり、まぶし過ぎる時間でもあります。


「叫んだら、もしかしたら出てきてくれるかもー」

そう言ってみんなでカウントダウンして。

みんなで一斉に娘に向かって「○○ちゃーん!!!」と娘の名前を叫ぶお友達。

大人には無い発想だなぁと感心して見ていました。


「もぅ、みんな、おっきい声でうるさいねん」

そう言って。

ちょっと困ったような、でも嬉しそうな顔をしている娘の姿が目に浮かびました。



夜は、娘が大好きだったくら寿司へ。

夏休みの週末は家族や若者で大混雑でした。


娘がお空に行ってしまったので。

もう二度と行くことはないと思ったくら寿司。


あっさりと半年後に行くことになりました。

時間薬なんて存在しないけど、考えは時間とともに変わることが分かりました。



案内されたテーブルにいつものポジションで座ると、娘の不在を改めて突きつけられます。


「ビッくらポン、どうする?」

夫が聞いてきて、私は悩んでから

「しよっか」と答えて。


周りの喧騒に対して、静かな私たちのテーブル。

当たっても誰も取ろうとしないビッくらポンのカプセル。


ビッくらポンが当たるか外れるかで大騒ぎしていたあの頃は本当に幸せでした。


何気ない日常の中にある、当たり前だったはずの幸せな幸せな毎日。


とにかくあの頃に戻りたい。

戻れない。



今の私はハリボテのようです。

日に日にハリボテの部分ばかり強くなって、厚みが出て。


でも中味はスカスカで。

【無】の中に、【怒り】と【悲しみ】の空気が詰まっている。



娘からの叱咤激励

激しく怒り狂っている夜、娘が心配をしているのか、また会いに来てくれました。


バチバチとした機械音と、光。

目には見えないけど、娘の気配がそこにはありました。

そして、娘の気配を感じながら、いつの間にやら再び眠ってしまいました。



2回目は、娘のいる場所から大きな金属音。

目が覚めて、電気もつけて、この時は完全に目を覚ましました。


娘が姿を現してくれる時はいつも

「おかあさん、ボーっとしとったらあかんで!」

そんな娘の声が聞こえてきます。



娘は居てる。

娘は見ている。


娘に心配をかけるわけにはいかない。



娘からの不思議な不思議なあたたかい力を糧に。

なんとか1日1日を必死に食らいついていくように、でも表面上には淡々と過ごす毎日です。


一日一生。

1日1日を大切に。


今月も読んでくださって有難うございました。