昨日は母と二人きりの夕食で、久しぶりに母から昔話を聞いた。

 

母の話は聞くたびに新たな発見があり、驚かされる。

 

以前は疎開先の岐阜の広場で遊んでいる時に、米軍機から機銃掃射を受けたことで驚かされたが。

 

昨日も何気なく話していた中で、祖父の実家がある山口県熊毛群伊保庄村へ滞在した時の話。

 

終戦から間もない頃、1950年頃だと思うが、そんな時代に東京から山口に行くのはなかなか大変なことだ。

 

「なんで行ったの?」と聞くと、「宝塚の試験を受けて、そのまま足を伸ばして山口まで行った」とのこと。

 

「へえ〜宝塚受けたんだ」と、当然落ちたから山口まで行けたのだと思っていたら、

「合格したんだけど、当時はまだ寮がなくて辞めた」と。

 

へ?宝塚に合格してたなんて聞いたことがないんですが・・・。

 

18歳の頃に、映画会社の「大映」にスカウトされたのは聞いていたんだけど、宝塚は初めてで、かなり驚いた。

 

※母と父

 

・・・ん?山口?

ということは私にも長州の血が流れている?

 

祖父は福岡県久留米市の神社の息子で、養子として山口の家に入ったので、私には九州の血が流れていることになる。

 

父方の家系は山梨。

私も山梨に住んでいるので、他の地域の血が流れているのには少々驚いた。

 

そしてさらに驚くのは、祖父の久留米の家での妹が、その後東京駅八重洲口を出てほぼ正面のところで旅館を経営していたこと。

 

今でいうと八重洲口の正面にある松勇ビルのある場所だ。

 

 

 

 

 

 

母は若い頃、その旅館でお手伝いをしていた。

 

その当時、若かりし丸山明宏さん、現在の美輪明宏さんが、お金がなくて、旅館でお世話したことなどを話してくれた。

 

母の記憶では旅館のタンスを上半身裸でペンキ塗りをしていたところを見たという。

 

美輪さん、銀座のクラブでシャンソン歌手として駆け出していた頃だから、八重洲口界隈にいてもおかしくない。

 

祖父の妹は今の美輪さんを彷彿させるような出で立ちだったらしく、母曰く、美輪さんは影響を受けているとのこと。

 

その理由の一つが、その旅館で祖父の妹は毎晩、哲学というかスピリチュアルな話をお客様たちにしていたらしい。

 

 

母の記憶のため真偽のほどはわからないが・・・。

 

 

83歳の母、まだまだたくさん聞き出せそうだ。