スタジオシフト代表の深澤竜也です。

 
東日本大震災からの復興に向け与野党で「復興庁」を創設する構想が浮上しています。

モデルは88年前の関東大震災で復興計画した「帝都復興院」だそうです。

その総裁は後藤新平(1857~1929)。

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後藤新平という政治家の力があったからこそ、復興院が機能したようです。



大正12年9月1日昼の関東大震災で東京には焼け野原。

死者・行方不明者は10万5千人以上。

震災被害も収まらない2日夜に山本権兵衛内閣が発足し、救援と復興の責任者となったのが内務相の後藤新平。
 

後藤はすぐに明確な方針を打ち出しました。

内相就任の2日夜、帰宅した後藤はただちに机に向かって復興根本策を書き上げたそうです。


そこには「遷都はしない」「復興費は30億円」東京の復興の基本的枠組みが作られていました。
 

後藤の大胆さは「復旧」ではなく「復興」を掲げたこと。


医師出身で衛生行政に詳しく、都市建設のエキスパート。

台湾総督府民政長官や南満洲鉄道初代総裁、東京市長、閣僚を歴任した後藤、構想が大きく「大風呂敷」とも呼ばれたが、政官財界に「後藤派」と呼ばれる人脈が広がっていたそうです。


圧倒的な指導力と統率力。

そこから東京は復興し、東京大空襲にも見舞われましたが、今の大東京を形成していきます。



今の永田町・・・果たして後藤新平はいるのでしょうか?