スタジオシフト代表の深澤竜也です。


昨日、中学の入学式に出席しました。

皆さんのスピーチでは必ず震災の話しが触れられていました。

こうやって無事に入学式を迎えることができたというのは、

実は本当は奇跡なのではないかと疑うような、そんな一日でした。

あまりにも凄まじい自然の脅威を目の当たりにし、その前にあまりにも無力だった人間と科学。

自然というものは、それまで積み上げてきたものを一気に奪ってしまうものだと、その怖さを思いしりました。



震災の前日は、中学の卒業式に出席していました。

感動的で、涙が出てくるような式だったのですが、

被災地では、震災で卒業式が行わうことができなかった学校もあります。

私たちは、本当に幸せだったのだ思います。



甚大な被害を被った気仙沼市階上(はしかみ)中学校

卒業という晴れの舞台は、悲しみの涙でいっぱいになっていました。

校長先生の言葉は悔しさの涙でつまり。

行方が解らない息子の写真を胸に、父親が卒業証書を受け取り・・・。



卒業生代表の答辞は、私に考えを改めさせる説得力をもっていました。

「防災教育といえば、わたしたちの階上中といわれるくらい、防災には力を入れてきました。
それでも、自然の力は大きく、災害の前に、わたしたちは無力で、大切なものが容赦なく奪われていきました。悔しくて、辛くて、たまりません。」

「それでも、私たちは天を恨まず、助け合って生きていこうと思います。それが私たちの使命だからです。」





この答辞を聞くまでの私は、天や自然を憎み、しかしどうにもならないもどかしさを憶えていました。


そう、人間はいつも自然とともに生きてきたことを忘れてはいけないんだと...中学生に、それも被災した子供に諭されたのです。





また東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の戸倉小の卒業生と、シンガー・ソングライターの川嶋あいさんが6日、卒業生らが避難生活を送る同県登米(とめ)市立登米(とよま)中で対面しました。



卒業生は震災が発生した3月11日夜、避難した高台の神社で、卒業式で唄うはずだった川嶋さん作詞・作曲の「旅立ちの日に…」を唄って励まし合った。


川嶋さんは新聞記事でこれを知り「何か力になりたい」と、休みを利用して来たそうです。



戸倉小は大津波で校舎が損壊、卒業製作のオルゴールや卒業アルバムも流されてしまった。

卒業式は8月に延期となり卒業生23人は今、町内外で避難生活を送っているそうです。



この日、登米中には卒業生11人と保護者、教員ら計約30人の姿がありました。

校庭でステージに見立てた階段に立ち、川嶋さんと「旅立ちの日に…」を唄いました。

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震災当日の夜、雪の降る神社の境内でも唄った曲。

歌い終わると、卒業生や保護者らは涙をぬぐったそうです。



川嶋さんからは“卒業記念”の木製のオルゴールキットが一人一人に渡されました。

川嶋さんは「絵を描いて、私に送り返してください。メッセージを添えて再びプレゼントします」と伝えたといいいます。


また卒業生が「よかったら8月の卒業式に来てください」と誘うと「必ずスケジュールを空けて来ます」と答えたそうです。



「旅立ちの日に…」は、私も子供達の卒業式で何回も聴き、いつも感動していた歌です。

この歌を唄えなかった卒業生がいること・・・私たちは決して忘れてはいけませんね。

そしてこの歌を唄える幸せを思わずにはいられません。