スタジオシフト代表の深澤竜也です。
無頓着・・・と言われれば、そうかもしれない。
無知・・・と言われても否定できない。
人ごと・・そうかもしれない。
今はいろんな情報が流れ、何を信じていいのかわからない。
毎日変わる数字に一喜一憂。
誰かが何かを隠してる?
そんな言葉があちらこちらに流れ、いやでも目に入ってくる。
別にそれを否定するつもりもないし、
考え方は人それぞれだから議論するつもりもないけど、
私自身は、なんか違うなって感じていた。
私は私を信じる。
誰かを、誰かの言葉に頼るのではなく、
自分の脳が、身体が感じたことを信じたいと思う。
水も飲むし、積極的に被災地から市場に出てる野菜や肉をいただく。
身体に対して無頓着だと思われてもしょうがない。
口にできるものがあるだけ幸せと思う。
もしそれで命が縮まったとしても、それは私のせいだから、誰に責任を問うつもりもない。
娘達にもそんな話しをした。
今、読み返している本がある。

「良寛の生き方」という本である。
良寛は、禅宗の僧侶なのだが、組織の属さず、地位や名誉や金品を貪ることなく、悠々自適に生きた人。
高僧でありながら、自由気まま、六畳一間の借家にすみ、ボランティア僧として生涯だった。

生き方そのものが魅力的で、いまでも多くの人から慕われているが、いくつかの言葉も残っている。
「米が三升あるし、薪が一束ある。暮らすにはこれで十分だ。
誰が迷いだとか悟りだとかにとらわれた昔の人の跡を求める必要などあろうか。
どうして、名誉や利益といったこの世の煩わしいことに関わろうか。
雨の降る夜は、庵の中で両足を思い切り伸ばして過ごせればいい」
あるがままである。
必要以上を欲せず、生きている実感だけがあればいい。
果たして、ものが無くなることは、死ぬことと同じなのだろうか。
死は怖い。
当たり前のことである。
でも死を迎えない生き物はいない。
それが「生」というものである。
私はこれまでにあまりにも多くの死を経験してきた。
だから死を近くに感じている一人だと思う。
だけど自分の死に対して無頓着なのは、
実は大切な人のそばに行けると、
心の中で思っているからだろうか・・・。
無理をせず、思うように生きる。
あるがままに生きれれば、それでいいと思う。
無頓着・・・と言われれば、そうかもしれない。
無知・・・と言われても否定できない。
人ごと・・そうかもしれない。
今はいろんな情報が流れ、何を信じていいのかわからない。
毎日変わる数字に一喜一憂。
誰かが何かを隠してる?
そんな言葉があちらこちらに流れ、いやでも目に入ってくる。
別にそれを否定するつもりもないし、
考え方は人それぞれだから議論するつもりもないけど、
私自身は、なんか違うなって感じていた。
私は私を信じる。
誰かを、誰かの言葉に頼るのではなく、
自分の脳が、身体が感じたことを信じたいと思う。
水も飲むし、積極的に被災地から市場に出てる野菜や肉をいただく。
身体に対して無頓着だと思われてもしょうがない。
口にできるものがあるだけ幸せと思う。
もしそれで命が縮まったとしても、それは私のせいだから、誰に責任を問うつもりもない。
娘達にもそんな話しをした。
今、読み返している本がある。

「良寛の生き方」という本である。
良寛は、禅宗の僧侶なのだが、組織の属さず、地位や名誉や金品を貪ることなく、悠々自適に生きた人。
高僧でありながら、自由気まま、六畳一間の借家にすみ、ボランティア僧として生涯だった。

生き方そのものが魅力的で、いまでも多くの人から慕われているが、いくつかの言葉も残っている。
「米が三升あるし、薪が一束ある。暮らすにはこれで十分だ。
誰が迷いだとか悟りだとかにとらわれた昔の人の跡を求める必要などあろうか。
どうして、名誉や利益といったこの世の煩わしいことに関わろうか。
雨の降る夜は、庵の中で両足を思い切り伸ばして過ごせればいい」
あるがままである。
必要以上を欲せず、生きている実感だけがあればいい。
果たして、ものが無くなることは、死ぬことと同じなのだろうか。
死は怖い。
当たり前のことである。
でも死を迎えない生き物はいない。
それが「生」というものである。
私はこれまでにあまりにも多くの死を経験してきた。
だから死を近くに感じている一人だと思う。
だけど自分の死に対して無頓着なのは、
実は大切な人のそばに行けると、
心の中で思っているからだろうか・・・。
無理をせず、思うように生きる。
あるがままに生きれれば、それでいいと思う。