スタジオシフト代表の深澤竜也です。
仙台入りしていた友人から、4通目のメールです。
>23日は、午前中だけボランティアをしました。
腰を痛めた方の家のゴミ出しで、地震の折りに割れた食器類をご自分では処理できない方の手伝いでした。
一緒に向かった青葉区の女性は自分も被災したにも関わらず、貴重なガソリンを使う車を出しボランティアに参加してました。
彼女の家もガスは止まったままで、地震以来お風呂に入ってないということです。
食料品も乏しく、肉類は1週間食べてないと言ってました。
職場も休業になったため、出かけてきたと言います。
職場が休業ということは、収入も減るということでしょうか。
夕方に仙台駅を出る高速バスに乗るため、ボランティアセンターを出発しました。
やはりタクシーを使う気にはなれず、ザックを背負い駅まで2時間ちょい歩きました。
駅近くのコンビニが営業していたので、夫が予約してくれた新潟ー東京間の高速バスを、やっと換券できました。
そのコンビニで夕食を調達しようと思い、おにぎりを1つだけ買いました。
初日、小学校で私の食べるおにぎりを見て「おにぎりだ~」と言ったつばさくんの顔が頭をよぎりました。
新潟行きの高速バスに座り少しうつらうつらした私に、「ボランティアの方ですか」と声をかけた隣の
男性は、おだやかに地震の日のことを話し始めました。
北海道から実家の父親の見舞いに来て被災したと言います。
多賀城のジャスコに取り残された人のニュースはテレビで見ました。
そのお一人でした。
ジャスコで地震にあった後、別の所にいる家族の様子を見に 下に降りた時、津波がくると言うのを聞いて3階に上がったということです。
地震の衝撃も冷めやらぬ間に、津波が目の前に現れたということです。
駐車場を押しつぶすように水の壁が襲って来て、人のいる車が横倒しに流されていくのを見たそうです。
そして、その先に駐車場を歩いている人を飲み込んでいくのも見たということでした。
聞きながら言葉が出ませんでした。
ジャスコの2階にいた人たちは、津波にもまれながら柱にしがみついていたらしいです。
どんなに冷たかったことでしょう。
ジャスコの3階に取り残された300人程の人たちは、水が引けるのを数日待つことを覚悟しなければいけなかったようです。
そんな中、ジャスコの店員さんが店内の100円ショップのお菓子を配ってくれたそうです。
1階の食料品売り場は水没してしまいましたが、3階の100均商品で気持ちもホッとできたようです。
それでも、いつまで寒さをこらえて待てばいいのかと不安になり、翌日その中の100人程は脱出を試みた
そうです。
職場を退職したその男性も胸まで水に浸かりながら歩き出し、途中で足を取られ頭まで潜ってしまったそうです。
もがきながら、何とか足場を見つけ、立ち上がり歩き出し、やっとの思いで水から這い出したと言ってました。
あの寒さの中をです。
水が引けた後現場を見ると、いろいろな残骸が足元にからまりあい、そこに足を挟まれたかもしれないと思うとゾッとしたということです。
無事脱出したものの、家族と連絡が取れず、入院している父親の安否も気になり、随分不安な日が流れたようです。
水を求めて、何時間も自転車を走らせたとのこと。
一番怖かったのはパンクで、ここでパンクしたら帰れない、水も探せないと、釘やガラス、瓦礫を踏まないようビクビクしながら慎重に走ったということです。
水がなくて苦しかったと言ってました。
避難所に一時1000人が非難した時、食糧は一人一人に十分ありますと言っていた県議が、実は半分の人しか行き渡らなかったこと、避難所の運営も統制が取れず、名簿さえ作ろうとしないことなど、行政の後手後手を批判されていました。
民間にいるこの方は、ちょっと考えれば出来ることも、少しも動こうとしなかった行政に腹が立ったということでした。
混乱した状態で、なかなか整然といかないことは仕方ないと思うのですが、これだけ地震対策をしているのに、実際起こると想定外ということは言い訳に過ぎないと言ってました。
それでも、海外から日本の対応はすごい、被災した人たちの忍耐もすごいと言われてますと言うと、確かに日本人の仁徳ですね、略奪も殺人も起きない、日本人は誰も責めることなく、秩序正しい列を作り、順番を守るところは誰に教わったことではない、日本の文化でしょうか。
こうして、若者らボランティアの方が駆けつけてくれるのを見ると、確かに日本も捨てたもんじゃないと思いますと話してくれました。
私もこれだけ情報が入ってくるのに何もできないことがもどかしく、いわき市の母親が私達は見放されたとメールを送ったのを見て、見放すはずはないと気がついたら向かっていたと伝えました。
確かに個々の出来ることは微々たるものです、でもボランティアセンターに次々と集まる老若男女はたくさんいます、みんな力になりたいと重い荷物を持って駆けつけましたと話しました。
共にがんばりましょうと話しました。
途中のサービスエリアでコロッケを2つ買ったので、1つ渡すと、遠慮しながら「いただいたよ」と隣にいる二人の娘さんにまず渡し、3つに分けて、「温かいものはホッとします、おいしいです」と丁寧に言ってくれました。
「拾った命です。大事にします。やることは大変なんですが」
生活への不安も口にしてましたが、それでも家族全員助かったのでと、生死をさまよった方の言葉は重いと感じました。
仙台入りしていた友人から、4通目のメールです。
>23日は、午前中だけボランティアをしました。
腰を痛めた方の家のゴミ出しで、地震の折りに割れた食器類をご自分では処理できない方の手伝いでした。
一緒に向かった青葉区の女性は自分も被災したにも関わらず、貴重なガソリンを使う車を出しボランティアに参加してました。
彼女の家もガスは止まったままで、地震以来お風呂に入ってないということです。
食料品も乏しく、肉類は1週間食べてないと言ってました。
職場も休業になったため、出かけてきたと言います。
職場が休業ということは、収入も減るということでしょうか。
夕方に仙台駅を出る高速バスに乗るため、ボランティアセンターを出発しました。
やはりタクシーを使う気にはなれず、ザックを背負い駅まで2時間ちょい歩きました。
駅近くのコンビニが営業していたので、夫が予約してくれた新潟ー東京間の高速バスを、やっと換券できました。
そのコンビニで夕食を調達しようと思い、おにぎりを1つだけ買いました。
初日、小学校で私の食べるおにぎりを見て「おにぎりだ~」と言ったつばさくんの顔が頭をよぎりました。
新潟行きの高速バスに座り少しうつらうつらした私に、「ボランティアの方ですか」と声をかけた隣の
男性は、おだやかに地震の日のことを話し始めました。
北海道から実家の父親の見舞いに来て被災したと言います。
多賀城のジャスコに取り残された人のニュースはテレビで見ました。
そのお一人でした。
ジャスコで地震にあった後、別の所にいる家族の様子を見に 下に降りた時、津波がくると言うのを聞いて3階に上がったということです。
地震の衝撃も冷めやらぬ間に、津波が目の前に現れたということです。
駐車場を押しつぶすように水の壁が襲って来て、人のいる車が横倒しに流されていくのを見たそうです。
そして、その先に駐車場を歩いている人を飲み込んでいくのも見たということでした。
聞きながら言葉が出ませんでした。
ジャスコの2階にいた人たちは、津波にもまれながら柱にしがみついていたらしいです。
どんなに冷たかったことでしょう。
ジャスコの3階に取り残された300人程の人たちは、水が引けるのを数日待つことを覚悟しなければいけなかったようです。
そんな中、ジャスコの店員さんが店内の100円ショップのお菓子を配ってくれたそうです。
1階の食料品売り場は水没してしまいましたが、3階の100均商品で気持ちもホッとできたようです。
それでも、いつまで寒さをこらえて待てばいいのかと不安になり、翌日その中の100人程は脱出を試みた
そうです。
職場を退職したその男性も胸まで水に浸かりながら歩き出し、途中で足を取られ頭まで潜ってしまったそうです。
もがきながら、何とか足場を見つけ、立ち上がり歩き出し、やっとの思いで水から這い出したと言ってました。
あの寒さの中をです。
水が引けた後現場を見ると、いろいろな残骸が足元にからまりあい、そこに足を挟まれたかもしれないと思うとゾッとしたということです。
無事脱出したものの、家族と連絡が取れず、入院している父親の安否も気になり、随分不安な日が流れたようです。
水を求めて、何時間も自転車を走らせたとのこと。
一番怖かったのはパンクで、ここでパンクしたら帰れない、水も探せないと、釘やガラス、瓦礫を踏まないようビクビクしながら慎重に走ったということです。
水がなくて苦しかったと言ってました。
避難所に一時1000人が非難した時、食糧は一人一人に十分ありますと言っていた県議が、実は半分の人しか行き渡らなかったこと、避難所の運営も統制が取れず、名簿さえ作ろうとしないことなど、行政の後手後手を批判されていました。
民間にいるこの方は、ちょっと考えれば出来ることも、少しも動こうとしなかった行政に腹が立ったということでした。
混乱した状態で、なかなか整然といかないことは仕方ないと思うのですが、これだけ地震対策をしているのに、実際起こると想定外ということは言い訳に過ぎないと言ってました。
それでも、海外から日本の対応はすごい、被災した人たちの忍耐もすごいと言われてますと言うと、確かに日本人の仁徳ですね、略奪も殺人も起きない、日本人は誰も責めることなく、秩序正しい列を作り、順番を守るところは誰に教わったことではない、日本の文化でしょうか。
こうして、若者らボランティアの方が駆けつけてくれるのを見ると、確かに日本も捨てたもんじゃないと思いますと話してくれました。
私もこれだけ情報が入ってくるのに何もできないことがもどかしく、いわき市の母親が私達は見放されたとメールを送ったのを見て、見放すはずはないと気がついたら向かっていたと伝えました。
確かに個々の出来ることは微々たるものです、でもボランティアセンターに次々と集まる老若男女はたくさんいます、みんな力になりたいと重い荷物を持って駆けつけましたと話しました。
共にがんばりましょうと話しました。
途中のサービスエリアでコロッケを2つ買ったので、1つ渡すと、遠慮しながら「いただいたよ」と隣にいる二人の娘さんにまず渡し、3つに分けて、「温かいものはホッとします、おいしいです」と丁寧に言ってくれました。
「拾った命です。大事にします。やることは大変なんですが」
生活への不安も口にしてましたが、それでも家族全員助かったのでと、生死をさまよった方の言葉は重いと感じました。