『ここは、イスラエルのある病院の一室。
薄暗い室内には多くの重症患者がベッドで横たわっている。
窓が一つしかなく、ぶ厚いカーテンによっていつも閉ざされている。
看護師や医師の回診などは滅多にない。
見舞い客は一人も来ない。
なんの楽しみもない。
唯一の楽しみは窓に一番近いヤコブが、身体をやっとの思いでねじ曲げながら、カーテンのほんの隙間に顔を近づけ、
「ほらいつもの花売りの娘がバラいっぱいのカゴを持ってくるよ」、
「今日のバラは何色だい?」、
「今日はどんな服を着ているんだい?」
ヤコブが外の話しをしている時だけは暗い病室に、何か期待と夢が入りこんでくる。
私は数年前から足の骨が溶けていく病気にとりつかれ、ここに運ばれた。
同室の患者も皆同じようなものだ。
いつの間にか、私はヤコブに次いで二番目に古い患者になってしまった。
ある時、こんなことがあった。
特に重症だったニコルが、
「ねえヤコブさん、どうやらお迎えが来たようだ。 今日一日でいいから、ベッドの位置を替えてくれないかい? 外を見てから死にたいんだ」
でもヤコブは無視をした。そして翌朝ニコルは冷たくなっていた。
私はヤコブを憎んだ。そしてヤコブが死ねばいいと思った。
そうすれば次に窓際へ行けるのは私だから。
その日、ヤコブは様子がおかしかった。
苦しんでいたが、やっとの思いで身を乗り出し、絞り出すような声で外の様子を伝えた。
「明日はいい天気だよ、星がいっぱいでてる」そこまで言うとヤコブはがっくりと頭を落とし、
一言もなかった。
看護師がやってきたが、ヤコブはすでに息絶えていた。
次の日、私は窓際に移動した。
これで外の景色を一人じめできる。みんななんかに知らせてやるものか、おれ一人で楽しむんだ。
そして身体の辛さをガマンしてカーテンの隙間を覗き込んだ。
そこから見えたもの・・・・・。
カーテンの向こうは、「冷たいレンガの壁」だった。』
スタジオシフト代表の深澤竜也です。
本日、道徳公開授業がありました。
うちの中学は文部科学省からの道徳教育推進モデル校になっているので、
今日は文科省の官僚や教育委員会、地域の育成員、民生員、他の小中学校の校長などが見学に来ていたのです。
テーマは「いのちの授業」・・・思いやりの心。
最初に書いた小説に対して、生徒と保護者が発言していくものです。
先生が私にふった話しは・・・「私(主人公)と同じような経験をされたことがありますか?」
何も考えていなかったけど、思いついたのは妻が入院していた時の話しでした。
以下、たぶん私はこんな話しをしたという内容です。
>脳死は人の死であるという法案が通り、移植が行なえるようになりました。
○○(娘)は憶えていないだろうけど、お母さんが倒れたのは夜中でした。
そして朝方、担当医師から脳死宣告を受けました。
しかし私は脳死というものをあまり理解していなかった。
1割に満たないだろうけど、帰ってくる可能性があることを信じていました。
脳死の意味を調べることができませんでした。
インターネットや携帯が今のように発達している時ではなかったし、
私は妻のそばを離れなかったから。
妻は脳死宣告から2週間心臓が動き続けました。
その間にはたくさんのお見舞いの方がみえられます。
医療従事者だった妻の知り合いは医療従事者が多く、みんな脳死の意味を知っていたはずです。
しかし諦めていない私をみて、みんな「○○ちゃん(妻)は必ず帰ってくるから、諦めないで」
「諦めたら終わりだよ」と励ましてくれました。
そして2週間後、妻は旅立ちました。
葬式も終わり、少し落ち着いた時にネットで「脳死」を調べてみました。
「奇跡の生還」なんて話しは出てるけど、99.999%・・・限りなく100%に近い確率で、それは死であることを知りました。
あの時、見舞いにきてくれた皆は、医療従事者のみんなはそのことを知っていたはず。
だけど私にそのことを伝えずに、励ましてくれた。
その励ましがなければ、私は2週間を耐えきれなかった。
ヤコブのウソは皆を元気づけた、みんなのウソは私を励まし続けた。
この話しを読んで、そのことを思い出しました。
たぶん・・・こんな話しをしたと思います。
「たぶん」というのは、自分の感情が高まり過ぎて、途中から泣きながら話してしまっていたからです。
それは当時のことを憶えていない妹君が聞いているということ、当時の事がフラッシュバックのように思い出されたりして、感傷的になってしまったからです。
恥ずかしい思いだけが残ってしまいました。
しかし・・・最初はチャカしていた子供達が、途中から静かに聞いてくれていたのが救いです。
だが・・・・恥ずかしい・・・・
薄暗い室内には多くの重症患者がベッドで横たわっている。
窓が一つしかなく、ぶ厚いカーテンによっていつも閉ざされている。
看護師や医師の回診などは滅多にない。
見舞い客は一人も来ない。
なんの楽しみもない。
唯一の楽しみは窓に一番近いヤコブが、身体をやっとの思いでねじ曲げながら、カーテンのほんの隙間に顔を近づけ、
「ほらいつもの花売りの娘がバラいっぱいのカゴを持ってくるよ」、
「今日のバラは何色だい?」、
「今日はどんな服を着ているんだい?」
ヤコブが外の話しをしている時だけは暗い病室に、何か期待と夢が入りこんでくる。
私は数年前から足の骨が溶けていく病気にとりつかれ、ここに運ばれた。
同室の患者も皆同じようなものだ。
いつの間にか、私はヤコブに次いで二番目に古い患者になってしまった。
ある時、こんなことがあった。
特に重症だったニコルが、
「ねえヤコブさん、どうやらお迎えが来たようだ。 今日一日でいいから、ベッドの位置を替えてくれないかい? 外を見てから死にたいんだ」
でもヤコブは無視をした。そして翌朝ニコルは冷たくなっていた。
私はヤコブを憎んだ。そしてヤコブが死ねばいいと思った。
そうすれば次に窓際へ行けるのは私だから。
その日、ヤコブは様子がおかしかった。
苦しんでいたが、やっとの思いで身を乗り出し、絞り出すような声で外の様子を伝えた。
「明日はいい天気だよ、星がいっぱいでてる」そこまで言うとヤコブはがっくりと頭を落とし、
一言もなかった。
看護師がやってきたが、ヤコブはすでに息絶えていた。
次の日、私は窓際に移動した。
これで外の景色を一人じめできる。みんななんかに知らせてやるものか、おれ一人で楽しむんだ。
そして身体の辛さをガマンしてカーテンの隙間を覗き込んだ。
そこから見えたもの・・・・・。
カーテンの向こうは、「冷たいレンガの壁」だった。』
スタジオシフト代表の深澤竜也です。
本日、道徳公開授業がありました。
うちの中学は文部科学省からの道徳教育推進モデル校になっているので、
今日は文科省の官僚や教育委員会、地域の育成員、民生員、他の小中学校の校長などが見学に来ていたのです。
テーマは「いのちの授業」・・・思いやりの心。
最初に書いた小説に対して、生徒と保護者が発言していくものです。
先生が私にふった話しは・・・「私(主人公)と同じような経験をされたことがありますか?」
何も考えていなかったけど、思いついたのは妻が入院していた時の話しでした。
以下、たぶん私はこんな話しをしたという内容です。
>脳死は人の死であるという法案が通り、移植が行なえるようになりました。
○○(娘)は憶えていないだろうけど、お母さんが倒れたのは夜中でした。
そして朝方、担当医師から脳死宣告を受けました。
しかし私は脳死というものをあまり理解していなかった。
1割に満たないだろうけど、帰ってくる可能性があることを信じていました。
脳死の意味を調べることができませんでした。
インターネットや携帯が今のように発達している時ではなかったし、
私は妻のそばを離れなかったから。
妻は脳死宣告から2週間心臓が動き続けました。
その間にはたくさんのお見舞いの方がみえられます。
医療従事者だった妻の知り合いは医療従事者が多く、みんな脳死の意味を知っていたはずです。
しかし諦めていない私をみて、みんな「○○ちゃん(妻)は必ず帰ってくるから、諦めないで」
「諦めたら終わりだよ」と励ましてくれました。
そして2週間後、妻は旅立ちました。
葬式も終わり、少し落ち着いた時にネットで「脳死」を調べてみました。
「奇跡の生還」なんて話しは出てるけど、99.999%・・・限りなく100%に近い確率で、それは死であることを知りました。
あの時、見舞いにきてくれた皆は、医療従事者のみんなはそのことを知っていたはず。
だけど私にそのことを伝えずに、励ましてくれた。
その励ましがなければ、私は2週間を耐えきれなかった。
ヤコブのウソは皆を元気づけた、みんなのウソは私を励まし続けた。
この話しを読んで、そのことを思い出しました。
たぶん・・・こんな話しをしたと思います。
「たぶん」というのは、自分の感情が高まり過ぎて、途中から泣きながら話してしまっていたからです。
それは当時のことを憶えていない妹君が聞いているということ、当時の事がフラッシュバックのように思い出されたりして、感傷的になってしまったからです。
恥ずかしい思いだけが残ってしまいました。
しかし・・・最初はチャカしていた子供達が、途中から静かに聞いてくれていたのが救いです。
だが・・・・恥ずかしい・・・・