スタジオシフト代表の深澤竜也です。


今年の春にハワイへ子供達(といっても大学生ですが)と行きました。


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HAWAIIと言えば「ALOHA」ですね。


アロハ(Aloha)は、「愛、慈しみ、感謝、平静、共感」などの意味を持つハワイ語です。

アロハとはハワイ人にとって最高の心の状態を表現する言葉とされ、それが故に非常に多くのシチュエーションで使用されます。

最も日常的には挨拶として「こんにちは」「さようなら」などの意味として用いられています。


また、ALOHAのスペルには意味があるとされ、
A - Akahai(上品さ、優しさ)
L - Lokahi(調和)
O - Olu'olu(思いやり)
H - Ha'aha'a(謙虚さ)
A - Ahonui(忍耐)

「愛しています 」「大丈夫ですか?」なんてのも「アロハ」なんですよね~。


その言葉通りハワイという場所は思いやりに溢れた、暖かい、温かいところでした。

老人への敬愛、子供への愛情、恋人への優しさ、そして観光客への親切・・・癒されますね~。


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子供達はビーチへ

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そして私は一人でアラモアナセンターへ向かいました


私は仕事として・・・各有名ブランドの春のビジュアルを入手してくることが目的です。


翌日はオアフ島を一周してきました。


亀の産卵を観ました。


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夜には「サンセットクルーズ」へ

本場のフラを観ました・・・これが一番の目的。

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映画「フラガール」からフラに興味があったのです。

そして夕陽が美しく私達を迎えてくれました。

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そんなハワイでしたが・・・・実はかなりのハプニングも


私が6人の大きな警官から尋問を受けるという場面も・・

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ハワイでは主にバスを利用して、移動していました。

そこで子供が置き引きに・・・ヨットパーカーを盗まれたのです。

ポケットには何も入っておらず、パーカーだけだったんだけどね~。

夜22時過ぎ、せっかく旅行保険に入っているのだから使わないと!と思いつき、

保険会社に電話したところ、POLICEを呼んで「盗難証明書」を取得してくれとのこと・・・。

金額的には5,000円ぐらいのパーカーだけど、呼びましたよPOLICE。

すぐ(5分後ぐらい)にホテルのロビーにPOLICEが到着

事情聴取をされました 。

その間10分ぐらいの間に、ぞくぞくとパトカーが到着。

合計6人のガタイの大きなポリスメン達に囲まれて、事情聴取。

ロビーにいる他の日本人は、何が起こったのか?ってザワつきだしました。

真剣に聞くんですよ・・・どこぞの国とは大違い・・ってかあんまり事件がないんだろうね~。

状況を説明して、最後に被害金額を聞かれて「50ドル」(5000円)と言ったら、みんなで顔を見合わせていましたけど( ≧∇≦)

そしてこれが苦労して取得した盗難証明書です。

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正直ビビリました(;^_^A




翌日は、ある場所へ。

サーフィン好きの友人から何回も聞かされたことのある名前。

伝説のサーファーで、ライフガードのハワイの英雄「エディ・アイカウ」

ノースショワに行き、彼の慰霊碑にお参りしてきました。

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1967年、ワイメアに40フィート(約12メートル)の巨大な波が立ちました。

当時ノースショアには、多くの世界的に有名なサーファー達が滞在していたけど、

誰一人として、その巨大な波に挑むものはいなかった。

そんな中で、名もない現地の青年が、さっと現れ海に入っていきました。

その青年はワイメアの巨大な波を、恐怖を感じるのでもなく、

まるでダンスでもしているかのごとく、華麗に乗りこなしていました。

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彼の名前は「エディ・アイカウ」21歳。

以後、伝説のビッグウェイバーとして彼の名は世界中に知れ渡ることになります。

その後、ライフセーバーとなり、多くの人々の命を救いました。

その数は何百人にも及ぶと言われているのですが正確ではありません。

というのも、通常ライフセーバーは、救助したらそれを記録していくものだけど、 エディはそれを善しとしなかったからです。

巨大な波の日にワクワクしながらワイメアベイに入っていくエディ。

後に、ハワイのサーファー達の間では、大きな波が来た時に合言葉のように、

「EDDIE WOULD GO ! (エディなら行くぜ!)」というフレーズが聞かれるようになっていきました。

1978年、航海カヌー「ホクレア」に乗り込みタヒチまでの航海に参加するが、

船はモロカイ海峡で遭難。

サーフボードに乗って救援を要請しに荒れ狂う海に漕ぎ出し、消息を絶ちます。

彼の英雄的な行動と悲劇的な最後はハワイ社会において伝説となり、

死後、先住ハワイ人の英雄となりました。(彼はハワイ王朝の子孫)

彼の葬儀の時には世界中のサーファーが集まり、一斉にノースショワの海
にパドリング(手で漕ぐ)で出て行ったそうな・・・壮観だったらしいです。



写真は彼の命日にノースショワに集まり、

輪を作ってお祈りしているサーファー達です。

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ハワイに行ったら、ぜひ彼の元を訪ねてくださいね。