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ぼくたちに、原爆も原発も無い安全な未来を渡してください。国を守ってください」元いわき市11才児童
2014年06月21日
【平和行進】福島県いわき市から東京に避難している11歳児童の訴え
5月6日に、東京都江東区夢の島の第五福竜丸展示館前でおこなわれた、2014年原水爆禁止国民平和大行進<東京-広島コース>出発集会の中で、
福島県いわき市から東京に避難している、11歳児童の訴えが、参加者の胸を打ちました。
全文を紹介します。
ぼくは、原発事故の次の日に、福島を離れてから、一度も自分の家を見ていません。
2年生の3月に、急にぼくは、東京の子になりました。
家も学校も友達も、楽しかった事が急にみんな消えて、ひなん所から知らない学校へ行く生活が始まりました。
弟も、ぼくも、泣いたり吐いたりしながら、ただ、しなければならないことをがんばりました。
ぼくたちは、くいきがいひなん(区域外避難)だから、ばいしょう金がほとんどもらえないので、みんなたいがい貧乏です。
そして、ほとんどの子が、お父さんと離れ離れの生活をしています。
お父さん達が福島で働かないと、ぼくたちは避難を続けられないからです。
原発事故さえなければ、ぼくらはみんな、自分の家で、家族そろって普通に暮らせたはずです。
ぼくも、1年半は、お父さんと離れ離れでした。
たまにお父さんに会える日は、すごく嬉しかったけど、お父さんが帰るたびに、弟が布団にもぐって泣くので、すごくつらかったです。
ぼくも弟と同じ気持ちだったから。
ぼくのお父さんは、一人で福島の家に残ってがんばったけど、心と体が壊れて、仕事を辞めて東京へ来ました。
やっと一緒に暮らせるようになったけど、今でもいろいろ大変なことがあります。
広島や長崎の原爆のことは、話には聞いたけれど、まさか69年もたって、自分の家の上にも同じ様なものが降ってくるなんて、
そして、その見えない毒が、ぼくたちの生活をめちゃくちゃにしてしまうなんて、夢にも思わなかったです。
ぼくたちは、原発事故で、たくさんのものを失いました。
自分の家や家族の笑顔や、たくさんの楽しい事が、みんな消えてしまいました。
こんなことを二度と繰り返してほしくないから、どうか、ぼく達が政治を動かせる日まで、この国を守っていてください。
そしてぼくたちに、原爆も原発も無い、安全な未来を渡してください。
ぼくたちは、それを引き継げるように、一生懸命勉強してついていきます。
よろしくお願いします。
↓以下は、いつもたくさんの情報を伝えてくださっている『真実を探すブログ』から、記事を転載させていただきました。
【狂気】
政府、福島原発から15キロの避難区域内に、公営住宅を建設へ!
5600㎡に、20戸を建設予定!
2年後には、避難も解除!
政府が、福島原発から15キロしか離れていない場所で、災害公営住宅の建設を開始しました。
災害公営住宅を建設する場所は、福島県南相馬市小高区の、避難指示解除準備区域の中で、
約5600平方メートルの土地に、20戸を建設する予定となっています。
この場所は今も、住民らの立ち入りが制限されており、原発事故の避難区域内に災害公営住宅が建設されるのは、これが初めてです。
政府は、2年後の2016年4月に、このエリアの避難指示を解除する方針ですが、狂気の沙汰に等しい行為だと言えます。
50キロ圏内でも、数十万ベクレルというような超高濃度汚染が発見されているのに、
それよりも更に福島原発の近くである15キロ圏内に、住民を帰還させるとか、ハッキリ言って滅茶苦茶です。
猛毒のストロンチウムやプルトニウム等の半減期は、何十年も先の話で、2~3年程度で、帰還できるほどに少なくなることはまずあり得ません。
このような汚染された場所で、作付けとかも始めていますし、本当に人として信じられない政策です。
☆福島・南相馬市、避難区域内に災害公営住宅を建設へ(14/06/10)
☆避難区域初 小高区に災害公営住宅を建設へ
引用:
害公営住宅が建設されるのは、JR小高駅にほど近い南相馬市小高区の、避難指示解除準備区域の中。
およそ5.500平方メートルの敷地に、2階建ての住宅を6戸、平屋建ての住宅を14戸、合わせて20戸を建設する。
原発事故による避難区域内に、災害公営住宅が建設されるのは、これが初めて。
南相馬市では、秋から工事を始め、避難指示の解除を予定する2年後の2016年4月までに、入居できるようにする方針。
:引用終了
☆福島の6自治体 田植え再開は約2%
引用:
原発事故で拡散した放射性物質のために、収穫されるコメに影響が出る恐れがあるとして、
国は、最大で、福島県内の12の市町村で、コメの作付けを制限していましたが、
放射線量が下がり、住民の立ち入りが可能になったことなどから、事故から3年が過ぎたこの春、
6つの市町村のおよそ5200ヘクタールでは、作付けの制限と自粛措置が、相次いで解除されました。
しかし、NHKが、これらの市町村を調べたところ、この春解除された水田の面積のうち、
実際に田植えが再開したのは、およそ2%にとどまっていることが分かりました。
:引用終了
↑以上、転載おわり
こんなことを、ダラダラと、させてしまっていていいのでしょうか……。
11才の男の子は、原爆も原発も無い、安全な未来を渡してください、と頼んでいました。
大人の人に、この国を守っていてくださいと、ぼくたちが大人になって引き継げるよう一生懸命勉強してついていきますからと。
大人として、ここは本当に、今ある時間や暮らしを少し変えてでも、なにかしなければならない時が来ているのではないでしょうか。
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ちぇるのぶいり より ひどい 政策・・・・・