最近話題になっている京都府で起こった事件。
集団登校中の小学生の集団に18歳の無免許野郎が居眠り運転で突っ込んで、
7ヶ月の妊婦の女性とそのお腹の中にいた赤ちゃん、
さらには女児がなくなったということがありました。
同じ子供を持つ身の自分にとって、
自分の身に振り返った時、
きっとそのふざけた犯罪を犯した野郎をこの手で殺したいと思うことに変わりはないと思います。
報道されていた中で、
気になったことは、
お腹の赤ちゃんが死亡確認をされていた中でも、
「危険運転過失障害の罪」と報道されていたこと。
妊娠をしている上にその子供を出産することを望み、
生まれてくるであろう命は、
他人の行為によってその命を失ってしまっても「殺人」にはならないのでしょうか?
人間の命はどこから「命」として認められるのか?
出産し、
出産届を出した時点で初めて命としての価値を与えられるのか?
これが甚だ疑問に思いました。
自分の中では、
妊娠が発覚した段階で、
両親となる人間の都合だけで子供を堕胎するという行為は、
殺人であるという認識がある。
殺人が犯してはいけない行為だということは、
そこらの幼稚園児でも把握していることでしょう。
しかしこの場合には、
いい大人でも軽ろんじられているような気がしてならない。
ここらへんの法整備をしない限り、
命を軽く見てしまう人間の数は減らないような気がする。
望もうが望まなかろうが、
一つの命を奪ったことに変わりはないのだから。
そのリスクを承知でセックスをしているのだから。
もうひとつは、
加害者の親の身にもなりえるということだ。
これを考えた時、
一概にこんなふざけた野郎は死刑にしろとは言い切れない。
もしも自分の身に置き換えた時、
腹を切ってお前も死んで詫びを入れろとは自分の息子たちには言えないからだ。
もしも奪った命を命で償えと言われるなら、
息子の命よりもきっと自分の命を差し出すと思う。
どうか私の命で勘弁してください。
息子には更生の機会を与えてあげてくれませんか?と懇願すると思う。
これが親になった自分が思う今の気持ち。
命を捨てたところで償うことなんて出来ないことは分かっているし、
大事な人間を失った哀しみはどんな形で償おうとしても、
それが成就できないことは簡単に想像できる。
親の責任だとか、
教育の問題。
道路交通法の問題や道路整備の問題。
また車の使用がその気になれば小学生でも運転できるという問題。
さまざまな問題が絡み合っているから、
テレビのコメンテーターのように簡単に「厳罰を」なんてことを言うことはできない。
こんな時、
ほとんどの人は「被害者」の立場であったらと考えるものだ。
それは自分の子供に限ってとか、
自分がいる環境の中ではこんなことは確実に起きないという考えがあるから。
こういう思想が一番危険だし、
子供がいる人間でも本当に自分の子供を見れているのか甚だ疑問に思う。
いろいろな問題がありすぎて、
一概に何かひとつの答えを明示することはできないけれど、
とってもやるせなく哀しい気分になりました。
おしまい