巌谷裁松（がんこくにまつをうえる）

　この禅語の直接の意味は、「岩ばかりの深く険しい谷に松を植える」ということです。岩だらけの場所に松の苗など植えても、なかなか育ちません。松の樹が大きく育つことはありませんし、まして自分が生きているうちにその姿を見ることはできないでしょう。

　しかし、そんなことは無駄なことだと思って、苗を植える人が一人もいなければ、やがて世の中の険しい土地には一本の樹もなくなってしまうかもしれません。無理だと諦めずに、きっといつかは大きく育つことを信じて松を植える。たとえ松が大きく育つその姿を自分が見ることはできなくとも、今の自分のためでなく、未来のためになすべきことをなす―その大切さを説いている禅語なのです。

　若いころには、つい性急に結果を出すことばかりを考えます。いまやっていることに対して、すぐにでも結果が欲しい。のんびりと5年語や１0年後の結果など考えても仕方がない。そして結果が見えないものは次々と切り捨てていく。まだまだ未来がある若い時期には、そんなエネルギーもまた必要かもしれません。

　しかし年齢を重ねていくということは、残された時間が少なくなっていくということです。その時間のなかで、何かの結果を求めることは難しくなっていきます。すると、今更何かの結果を求めることは難しくなっていきます。すると、今更何かをしたところで、大した結果を得ることはできない、と人生の松を植えることを諦めてしまうのです。

　いずれ自分は死んでいきます。しかし、自分が死んだ後にも、この世の中は変わることなく続いていき、子供や孫がいれば、彼らの人生はまだまだ続行け行きます。そのことに思いを馳せ、延々と続くであろう未来を信じて、自分が残せるものは何か、たとえ自分の目で見ることはできなくとも、自分が生きた証をどうすれば残すことができるのか、そこに心を砕くことが大事なのです。

　生きた証を残したい。それは人間としての本能のようなものです。証とは子供や財産などといった形あるものばかりではありません。たとえ形はなくとも、自分の抱いている思いや精神はきっと残せます。孫に話をするのもよし。エンディング・ノートに思いを書き残すのもよし。いまは伝わらなくても、必ずその思いが伝わるときが来ます。命をつないでいくとはそういうことなのです。どうせ死んでしまったらもうおしまい。自分が精神を残したところで、それが受け継がれるかどうかなど分からない。死んだ自分にはもう確かめることさえできない。何かを残すことに意味などない。もしかしたらそのように考える人もいるかもしれません。

　人間は死んだ後にどうなるのか。魂としてこの世に残っていくのか。あるいは死んでしまえばすべてが無に帰するのか。魂はあるのかないのか。その答えを仏教は示していません。つまり、魂が存在するか否かの答えは、それぞれの心のなかにあるということです。そうだとすれば、私は魂の存在を信じます。自分が生きているうちに植えた小さな苗が、死んだ後に見事に育っていく。その姿はきっと心の眼で見られる。そんな未来を信じています。

未来を信じて苗を植える