私の母方祖母は"進歩的な"女性だった。ただし必ずしも良い意味ではない。彼女の考え方のうちいくらかの部分はどうしようもなく窮屈で、幼い私にとっての抑圧として機能した。

彼女は私が将来出会う男性によって「人生を台無しにされる」ことを恐れていたようだった。「男に人生を明け渡すな」というのが祖母の私に対する口癖で、あげく「あなたが恋愛をしても結婚をしても私は祝福をしてあげることができない」と言い渡されたとき、少女だった私はフェミニストというものが大嫌いになってしまった。

今でこそ女性支援団体の活動に関わったり、ジェンダーにまつわる諸問題について見識を深めようと、貧しい暮らしの中でも書籍にお金を割いたりする二十代を過ごしているが、十代のころはとてもそんな気持ちになれなかった。アンチフェミニズム的な発言を繰り返してTwitter(現在のX)を炎上させ、過激なインターネットフェミニストから殺害予告を受けたこともあった。


同時期、母の性的放縦が私のミソジニーをさらに刺激した。

母は子ども時代から二十代にかけての度重なる性被害体験によって、自傷行為としてのセックスがやめられない壮年になっていた。

彼女が行きずりの男と性交して帰宅した晩は、その感想をえんえん聞かされるはめになる。「どんなプレイをしたか」「ペニスのサイズはどれくらいだったか」など、あけすけに話す母の姿は思春期の少女だった私に激しい嫌悪をもよおさせるには十分だった。

しかしそれから数日経つと、母はよく知らない相手と性交したことを後悔しはじめる。「あんなことをするんじゃなかった」「こんなに後悔するなら、あれはレイプだったのだ」そのような彼女の語りを前にして私はどんな目をしていたのだろう。きっと、底なし沼のような暗い眼差しだったと思う。どこを見るでもなく、別なことを考えようと努めていた。


母と祖母という、それぞれ違った形で私の性的成長を呪う二人の女性たちと過ごすことで、十代の私は「女」に失望していった。二十代は自身をふくむ、女たちとの和解がテーマとなるのだと思う。

フェミニストという言葉には正直なところ今でもあまり良いイメージをもっていない。TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)などの、フェミニストを自称する差別主義者がSNS上に跳梁跋扈するこの状況では、積極的に名乗るつもりもない。それでも私が2020年代に善良な市民として在るためにはフェミニズムの考え方をインストールして生きなければいけないだろう。