「それ」にめざめたのが正確にはいつだったのか、いまとなっては思い出せない。二、三歳のころにはすでに習癖になっていた気がする。母や祖母は、不安で満たされた私の幼少期を支えていたその行為を見咎めるたび厳しく叱った。

特に、セックスや男性への嫌悪感が強かったらしい祖母は孫娘の私のマスターベーションにいらだち、しばしば激しい体罰を加えたものだ。彼女の裁縫道具がしまってある小さな箪笥からよくしなる物差しを取り出して臀部を打ち据えたり、水を張った浴槽に沈めたりしていた。


家ではあまりに厳しく叱られるものだから、マスターベーションの意味を理解していなかった私は、小学校で自分の机に陰部をこすりつけてしまうようになった。小学校四年生ごろまでそれが続いた。

どうしても家でするときは自分以外の家族がみな出かけているタイミングをねらい、何時間も没頭した。やがて電気コードを使った首絞めオナニーや浴室の鏡を前にしての変態的な行為にまで手を出すようになった。

私の倒錯の原点はこの時代にあるように思う。


まだ自分のしている「なんだか気持ちがよくなること」がマスターベーションだと知らなかった小学校低学年のころ、私はあるジャンルの書籍を読みながら自慰行為をすることが多かった。母が趣味で集めていた犯罪ルポルタージュだ。幼い私は「A男は当時○歳のB女の陰部を弄び、騒がれたため殺害……」のような文章になぜだかどきどきし興奮していた。なんとも不謹慎な話だし、思い出しては自己嫌悪に陥るのだが、自分が死を感じさせるものに同時に性をも感じるのだと気づいたのはそのときの経験からだ。