昨日ひさしぶりに
英彦山の高住神社に行ってきました
実は宇佐神宮に行くために・・・近道を通っていたはずが・・・
なぜか英彦山にひっぱられたみたいで
迷ったことに気づいてひきかえそうとしてふとみると
はじめて参拝する神社が
参道をあるくと上から
私に向かって
どんぐりがポンポンとおちてくるのです・・・
天狗様????息子のお願いで参拝していたのですが
拝殿に
息子の名前 隆昌の文字が・・・
神様はすべてお見通しですね
で・・天狗様の本拠地の高住神社へ車を走らせました
いいお天気です
ここは八天狗のおひとりである
豊前坊様の本拠地
豊日別命(豊日別国魂神)、天照大神、天火明命(天照国照彦火明之命)、火須勢理命(火燗之命)、少名毘古那命
↑先ほどの八幡様には猿田彦様・・・こちらには少名彦
先ほどの八幡様には饒速日様そしてこちらは・・饒速日の別名?
天火明命・・・・
なんだかつながってる感じがしました・・・
高住神社は、英彦山豊前坊(英彦山49窟18番)とも知られ、英彦山49窟の中で英彦山の南西に鎮座する玉屋神社(般若窟・英彦山49窟1番)と同じく、窟の中に神社が造られています。
社伝によりますと、御祭神は、豊前
・豊後国
の守護神
として、古くから鷹巣山
に祀られ人々の病苦を救い、農業や牛馬・家内安全の神として古くから崇められていました。
社殿の創建は、継体天皇
23年(529)
↑めちゃくちゃ古い歴史・・約1500年以上前ですから・・・
8月12日、豊後国日田郡の藤原恒雄が「吾此の磐根にあること年久し天下国家の為人民の病苦を救ひ刀剣の業を司り火災を防ぎ牛馬蕃息を守るのみならず、尚豊前後の境に宮柱を立て豊国人の所願を満さんと此土地に鎮座し玉ふ」と神託を授けられ神祠を建てて創建されたとされています。天平12年(740)春には聖武天皇の勅願により再建されたと伝えられています。
また本社は、豊前坊天狗神としても有名で江戸時代までは、日本八大天狗の英彦山豊前坊(豊前坊大天狗)が住まうとされていました。
英彦山豊前坊は九州の天狗の棟梁格で、霊力が抜群で天狗倒しで有名です。
天狗倒しは、深山で深夜に突然すさまじい原因不明の大音響、木を切る音や倒れる音が聞こえるもの、翌日様子を見に行ってみると何も変わっていないというものです。
英彦山ではこの天狗倒しがよく起き、英彦山豊前坊の御霊力の表れとされています。
英彦山豊前坊は、欲深く奢りに狂った人には小天狗を飛ばせて子供をさらったり、
家に火をつけるなど慈悲の鉄槌を下し、
心正しく信仰する人には家来の天狗を集めて願い事を遂げさせ、其の身を守ると伝えられてきました。
明治期の神仏分離令・修験禁止令により社名が高住神社に変わって以降もその高い御神徳を称え、現在でも修験者たちの信仰を集めています。
八大天狗
- 愛宕山太郎坊[京都]・比良山次郎坊[滋賀]・鞍馬山大僧正[京都]・高雄内供奉飯綱三郎[長野]・伯耆大仙清光坊[神奈川]・彦山豊前坊[福岡]・白峯相模坊[香川]・熊野大峰菊丈坊[奈良]
現在、御祭神として豊日別命(豊日別国魂神)、天照大神、天火明命(天照国照彦火明之命)、少名毘古那命の5柱の神を祀っています。
豊日別命(豊日別国魂神)
- 豊前・豊後国の住民の守護神。伊邪那伎命・伊邪那美命の国産みで生まれた筑紫島(九州)は身一つにして面四つあり、その内のひとつである豊国の御霊が豊日別命です。
彦山豊前坊
福岡県と大分県にまたがる英彦山(ひこさん)に住む大天狗。読み方は「ひこさんぶぜんぼう」。アメノオシホミミが天降った姿と言われていて、九州を統括する天狗です。
↑
アメノオシホミミ様とは
英彦山(ひこ)の日子(ひこ)の中心の神様
そしてここはなんといっても私の故郷の今川の水源ですから・・・・
【獅子の口 今川水源・豊前坊竜神 大天狗の霊水】
(福岡県の湧水)田川郡添田町英彦山 奢るものを挫き・正しい人の身を守る天狗神に守られた霊水群
なのに今水がかれているのです・・・・
天狗様のお力を再度もりあげないと
マジに感じました・・・私も最近近くのお参りがおろそかになっていたので・・・
また参拝しようとおもいました・・・
が・・・冬はかなり凍結が心配ですが・・・
車でいつか一泊したいと考えてます
かれた水源にお酒をまいてきました・・・
なぜかそういう時には
天狗のような方がそばにきて
お酒をまいても大丈夫
天狗様がお喜びになると
指示して下さるのです…(必ずおじいちゃん)
その後は急ぎ宇佐へしっかりどこに参拝してよいか
天からのナビで完了しました(笑い)
最後に
修験の霊山、豊前彦山に木材を伐り出しに行く小早川隆景
こちらから抜粋して紹介します
1592年から始まる豊臣秀吉の朝鮮出兵の前と言いますから、1580年代終わりの頃でしょうか。秀吉は小早川隆景に、朝鮮まで海を渡るための船の建造を命じます。
隆景は秀吉の九州征伐(1586年から1587年)の後に九州の筑前国(福岡県西部)を領国としていますから、秀吉からは筑前と隣の豊前国(福岡県東部)の境にある彦山(英彦山)の木を伐り出して造船しろという命令だったのです。彦山には、楠の大木が数多くありました。
この彦山というのは、熊野の大峰山、出羽の羽黒山とともに「日本三大修験山」に数えられる修験者の霊山で、古くから武芸の鍛錬にも力を注ぎ、最盛期には数千人の僧兵を擁していたと言います。敵対していた大友義統に攻められ、その後に秀吉の九州征伐が行われて豊前には細川忠興が入るとその勢力は衰えていましたが、それでも修験道場としての威厳は保たれていたのだと思います。
ともかくも隆景は早速、彦山まで出向き、造船のための木材伐り出しを彦山の座主に告げますが、座主は色々と理由を述べ立ててなかなか首を縦に振りません。隆景が「関白殿下のご命令だ」と言うとようやく座主は納得したので、隆景は彦山の坊にしばらく滞在することになりました。
彦山の大天狗と問答する小早川隆景
彦山に滞在中のある夜のこと、ふいに風が吹き、どこからともなく背丈が2m以上もある山伏が現れ、小早川隆景の前に座って睨んできました。
「これはただの山伏ではなく、彦山に棲む豊前坊という天狗だな」と隆景は気づきます。彦山豊前坊というのは、日本の八天狗に数えられ九州の天狗を統べるという大天狗です。
天狗と隆景はしばらく睨み合っていましたが、やがて天狗が口を開いて、「この彦山の木は、開基以来千年以上の昔からいちども伐られたことはない。これは人々が神仏を敬ってきたから守られたのであって、それが船を造るのに伐り出すとは奇怪な話だ。貴公は神仏に帰依の心が深い名将だと聞いていたが、こんな悪逆無道をするとはどうしたことか」と声を荒げます。
それに対して隆景は、「この山の木を私が自分のために伐り出すということならば、そのようなそしりも受けるだろう。しかしこれは関白殿下の命令なのだ。前例がないと言ってこの命令に背くのであれば、天下の下知に背くことになる。普天のもと、王地にあらずということなし、という。関白殿下は天皇に代って天下を治めているのだから、この天下の下知に背くことはあってはならない」と答えました。
「普天のもと、王地にあらずということなし」とは平家物語にある言葉で、この天下で天皇の土地でないところはない、という意味です。
また隆景は、「私のことを悪逆無道と言うが、そちらこそ自分勝手なことを言っている。役行者(修験道の開祖、役小角)以来、修験者の法には私利私欲を優先して世の法を破れと書いてあるのか。正しい法は私利私欲を禁ずるのだから、山の木に執着してそれに縛られるとはいかなることか」と言いました。
すると天狗は、「普天のもと、王地にあらずということなし、とはもっともなことだ。また貴公に罪がないというのもはっきりした。それではお暇する。さらばだ」と消え去って行きました。
この天狗との問答のお話は、山を護る土地神である大天狗が天下のためという理由で木を伐り出すことを納得するという、まさに戦国時代が終わりを告げ、天下が統一されたことを象徴するようなお話なのかも知れません。
こんなお話も残る
英彦山の高住神社みなさんも大自然と天狗様にあいに参拝されてはいかがでしょうか
さいとうせいは