言葉には言霊が宿るらしい | 鹿吉の徒然なるままに by Shicayoshi Cake Lab.

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ひとつひとつを丁寧に、食べてくださる方を想って焼き上げる、を信念に掲げた焼き菓子屋の徒然なる日々を綴っております。

あまりにもバタバタしていてブログの更新が出来なかった鹿吉です。

こんばんは!

 

日々のブログは本当に楽しく書かせていただいておりますが、それでも気合を入れて書いているのは間違いのないところでございまして、決して適当にはしておりません。

ですのでパッと書いて終わり!という片手間のようなことができませんので、時折時間がなかったりすると書けないことがございます。

 

楽しみにしてくださっている方には大変申し訳なく思います。

すみませんでした……

 

ということでお詫びではないですが、本日はリブログデーをやめてちゃんと書こうと思います。

 

言葉には言霊が籠るんだよね、という話をひとつ。

 

先日、母がYouTubeを聞き流していたときになぜか古典落語のひとつ「子ほめ」が流れたそうにございます。その内容が面白く、でも最後のオチまで聞けなかったとのことでございまして、ここはひとつお勉強も兼ねて落語「子ほめ」を観てみようと思いました。

 

他愛ない話で単純に頭をまっさらにして楽しめる落語にございました。

演目として知っていても聞くとまた違った面白さがあり、噺家さんの力量も問われるものだと思いました。

 

小咄を組み、重ね、くすぐりもいれたりして、時間の調整もつけやすい「逃げ噺」にもなる演目でございますので、噺家さんによっては随分と印象や話の違うものかもしれません。

 

ですので今回「子ほめ」の説明をする際には詳細は一切省き、内容だけをお伝えしたいと思います。

 

おっちょこちょいですっとぼけた男、熊五郎は「ただ酒が飲める」と聞いてご隠居のお宅にお邪魔します。けれども「ただ酒、飲みに来たぜ」と入って行けば「うちにあるのはただじゃあないよ、灘の酒だよ」と叱られます。

 

灘の酒は江戸時代「下り酒」の代表格のようなものにございまして、非常に江戸市民を魅了した「旨い酒」でございました。下り酒は高級品でなかなか一般市民の口に入るものではなく、憧れのお酒だったかもしれません。

 

さてお酒がただで飲めると思っていた熊五郎はご隠居さんにどうすればただで飲めるのかを聞きました。するとご隠居さんは「そうさな…」と顎を指で搔きながら考え込みます。

 

「人は喜べば酒のひとつも奢ろうもの、そこは世辞のひとつでもうまく言わなきゃあならないね~」

 

「世辞?」

 

世辞と言われても熊五郎にはその世辞がいまひとつわかりません。

首を傾げる熊五郎を呆れたようにねめつけてご隠居さんが言葉を続けました。

 

「人は年を若く言われると気分がいいもんだろ?だからな、45歳なら厄(厄年の40歳)くらい、50歳なら45歳、と5歳くらい若く言っておけばいいのさ」

 

「なるほど」

 

ご隠居さんのアドバイスにうんうんと頷く熊五郎は「そういえば仲間の八五郎のところに子供が生まれたな、行って褒めれば酒が飲めるか?」と頭の中で算段しはじめました。

 

けれども赤ちゃんを褒めるといってもどういって褒めればいいのかがわかりません。

 

そこでご隠居さんに赤ん坊の褒め方を聞けば、ご隠居さんはすらすらとセリフを流れるように教えてくれます。

 

「これはあなたさまのお子さまでございますか。あなたのおじいさまに似てご長命の相でいらっしゃる。栴檀せんだん双葉ふたばより芳しく、じゃすんにしてその気をのむ。私も早くこんなお子さまにあやかりたい」

 

長生きしそうな相貌に、すでに大人物となるだけの才気を発している、という褒め殺し。

なるほどなるほど、と熊五郎はさっそくご隠居さんのアドバイスを試してみようと出掛けて行きました。

 

すると見知った顔がございまして、まずはひとつ伊勢屋の番頭さんからやってみよう、と熊五郎は伊勢屋の番頭さんへと声を掛けました。

 

「やぁやぁ番頭さん!」

 

「おや、熊さんかい」

 

「ところで番頭さんはいま、いくつだい?」

 

唐突な会話に戸惑う番頭さん。

それでも「40(しじゅう)だ」と答えます。

 

これで困ったのは熊五郎。

45歳と50歳の人に対する褒め方は聞いたけれども40歳の人にはいくつといえばいいのかわからないのでございます。仕方ないので番頭さんに無理やり「45歳」と言ってくれ、と頼み、番頭さんはわけもわからず45歳にさせられます。

 

「ほう!45歳かい?そりゃ、若く見えるねぇ」

 

「いくつに見えるんだい?」

 

「どうみても厄(40歳)だね!」

 

「馬鹿野郎!」

 

とまったくうまくいきません。

 

なにがうまくいかない理由なのか、わからないまま熊五郎は八五郎のもとへと向かいます。

今度は子供を褒めなくてはなりません。

 

ただ酒のためにも熊五郎は気合が入ります。

 

八五郎の家に着けば、産まれた赤ん坊は男の子で奥の部屋で寝ているとのこと。

さっそく熊五郎は奥の部屋へと行き、布団で寝ている赤ん坊を褒めようとしますが…

 

「なんだい、けったいなガキを産みやがったな!生まれたばかりのくせに頭の真ん中が禿てやがる!」

 

「そりゃ、うちのおやじだ…」

 

「お、おぅ、そうか、それじゃあ、おめえの子供ってのは…こっちか!」

 

熊五郎が寝ている八五郎の父親から視線を横にずらせば、そこには可愛らしい赤ん坊がおりました。こいつを褒めれば…と早くも熊五郎の喉がただ酒欲しさにこくりと鳴ります。

 

「ん、ん、これはこれは、あなたのおじいさまに似て長命丸ちょうめいがんの看板で、栴檀の石は丸く、あたしも早くこんなお子さまにかやつりてえ」

 

「……なんだそりゃ?」

 

熊五郎の意味不明な言葉に八五郎が首を傾げます。

焦った熊五郎は必死になって自分では褒め言葉だと思って言うのですが、それがまた尽(ことごと)く失礼極まりないものばかりで終いには八五郎も怒り心頭。

 

どうすればいい、と起死回生の一手を打つ熊五郎は最後の手段とばかりに赤ん坊の年を聞きました。

 

「生まれてまだ7日だから一つだな」

 

昔は数えで年齢を言いましたので「お七夜」で1歳となります。

それを聞いた熊五郎が自分の膝をぱしりと叩いて言いました。

 

「一つにしちゃあ、大変お若い!!!どう見てもただだ!!!」

 

おあとがよろしいようで……

 

という話でございました。

 

これを聞いて私は思ったのでございます。

言葉には言霊が宿り、人はそれをちゃんと受け止める、のだと。

 

熊五郎がかなりお目出度い頭の男性であることは周知の事実だったと思うのです。だから熊五郎が多少意味不明のアホなことを口走ったとしても、そこに心底から思う想いがあれば、きっとそれは失礼な言葉としてではなく、きちんと想いの籠った言葉として通じたと思うのでございます。

 

けれども熊五郎が思うのはただひとつ「ただ酒が飲みたい」という想いだけ。

 

何が目的なのかはわからないけれども熊五郎が思ってもいない褒め言葉を弄しているのだけは通じて、それがいたく心を落ち着かなくさせたのでしょう。

 

どのような言葉を発するのもその人の心次第、ということなのかな、と。

それならばできるだけ人を幸せにできるような言葉を使っていきたいと思う私は今日も元気に焼いております。

アメリカンクッキーにございます。

 

鹿吉のアメリカンクッキーはさくさく食感をさらに生かすために最近バージョンアップをはかりました。砂糖の種類を変えたのでございますが、それがとてもこの焼菓子には合っていて、サクサクとした食感が増して美味しくなっております。

 

いくつか種類がございます。

是非一度ご賞味くださいませ~

 

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ちなみに言葉に言霊が宿るのだと実感したことがございます。

つい先日のことにございます。

 

父がなにかやらかす(大抵がガス爆発)度に「ちょいちょーい」と私は言います。

するとこの私の「ちょいちょーい」に愛犬チワプーちゃんが過剰なまでの反応を示すのでございます。

 

高速回転しながら唸る、という意味不明な行動にございます。

 

先日もトイレ内で巨大なガス爆発を起こしておりまして

(母からは「トイレ内は許してあげて…」と言われておりますので)

「ちょいちょーい」ととっても小声で言いました。

 

すでに夜は更けておりまして、チワプーちゃんは真っ暗な居間で寝ているはずでございました。

だからこそわざわざ自分の部屋から出て、トイレのドアに張り付くようにして小声で「ちょいちょーい」と言ったのでございます。

 

それでも真っ暗な居間から高速回転しながら唸るチワプーちゃんの気配がしました(笑)

 

一体、私の「ちょいちょーい」にはどれほどの言霊が宿っているのか、と思った次第にございます。

 

かと思えば、先日、母が何か面白いことをやらかしてくれまして、ツッコミついでに「ちょいちょーい」を繰り出しました。

 

するといつもならすぐにでも高速回転しながら唸るチワプーちゃんが静かに父の膝の上に乗っていたのでございます。

 

何が違うのか、これには私も首を傾げてしまいました。

 

父はご機嫌で「おれのお父さんを虐めるな!って言ってるんだな~」と分析しておりましたが、私は違う意見にございます。

 

おそらく私が父に発令する「ちょいちょーい」のには

 

僅かばかりの怒りが込められているに違いない

 

と分析してしまいました(笑)

 

父にはあまり通じてない「怒り」が犬にはきちんと通じてしまっていたのだと思うと、やはり発する言葉には気を付けないといけないなと思う私にございます。

 

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

またいらしてください~♪

お待ちしております!!!