山形の旅の記録の途中だけど、展覧会の話を。。
期間中、昭和33年の映画上映があるというので、その上映日に出かけてみました。
その前に展示を拝見。お、ハチ公~
写真を撮っていたら、スタッフの方が声かけてくださって、一緒に写真。
リアルなハチ公の写真も展示されていました。100歳、すごいねえ。
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映画、すごくおもしろかったです。
上映時間は50分。昭和33年に、ハチ公のストーリーをフィクションで作った映画。
ロケ地は、当時の渋谷駅(と思われる・・・)、その風景がすでに興味深いのです。
ハチ公がやってきて、名前をつけて可愛がり、博士がなくなった後も通うハチ公。
そうして最後、亡くなり、その献身的な姿が銅像になったあとの風景も物語に。
昭和33年にすでに、いまの「ハチ公」のストーリーはできていたのですねえ。
そして、映画の前に見た写真や資料で見るハチ公、意外な発見がありました。
一番びっくりしたのは、上野博士は自身が病弱だったためか結婚をためらっており、
ハチ公を迎え入れたときの奥様、実は入籍されていなかったということ。
籍が入っていなかったため、博士逝去後、奥様は元の家に住み続けることが難しく、
しばらくは知人宅を転々とし、そのためハチ公を一緒に連れていくことが難しかった・・・
それを救ったのは、とても魅力的だった博士をしたうお弟子さんたち。
生前も、博士のことを案じて、「弟子がお小遣いを出し合って葉山に療養のために別荘を建てた」そう。
博士はそれを受け取ることを固辞したのだけれど、亡くなった後、奥様を心配したお弟子たちが、
その葉山の別荘を売って、そのお金で世田谷に茶室つきの家を建て、そこに暮らしたそう。
その家にハチ公を連れて行ったのだけれど、よくいなくなり渋谷で目撃されたということを聞き、
渋谷の家に出入りをしていた庭師さんの家にハチ公をお願いした、ということらしい。
奥様、博士の死後35年、世田谷の家でお茶の先生として暮らしたそう。
そして、亡くなった後、願いが受け入れられて博士とハチ公と並んでお墓に入ったそうです。
上野博士…入籍してなかったのか。だめじゃん!!そういうこと、ちゃんと最初から考えて!!
そんなことを思った、展覧会でした・笑
あと、ハチ公はフィラリアでなくなったとされていたのですが、
ハチ公は亡くなった後はく製になったのですが・・・その際に組織の一部を保存されていて、
平成23年になって改めてその組織を検査したところ、肺がんだったことがわかったそう。
はく製の製作にもいろんな話があり、銅像にも、当初の銅像が戦時中に溶解され、
戦後に再度製作する際、当初の彫刻家の息子が尽力したらしい。
戦後に材料がない時代で父の作品を溶かしてそれを銅像にしたという話も初めて知りました。
銅像に掲げてある「ハチ公」という題字は、当時募集した渋谷区内の小学生の字とか・・・
ふだん、なにげなく眺めているハチ公にまつわる物語、改めて色々知ることができました。
いや、楽しかったです。
今週末までなので、展示、もう一度じっくりみたいのですが・・・