老母についての連投で申し訳ありません。
昨日、母の通院付き添い。
よぼよぼと歩く母。
突然、手を出してきました。
妹はいつも、母の手をひいて歩いていると聞いていましたが、私は手をつないだことはありません。
母の手は、小さくて、冷たくて、握ったら壊れそうな感じがしました。
「手をつなぐと歩きやすい?」と聞くと、母は「うん」と小さく返事をしました。
申し訳ないと思っているのかもしれません。
一緒に歩きながら、裏通りに大佛次郎茶亭の前を通りました。
鎌倉文士の代表であり、猫を愛した作家、大佛次郎のお屋敷や別宅は数寄屋造りでそれはそれは立派ですが、跡を継ぐ人がおらず売りに出されたけれど、買う人もいないと聞きました。こんな立派な歴史を、鎌倉市はどうして大切にしようとしないのか、まったくもってわけがわかりません。茶亭はながらく予約制のカフェとして営業していたようですが、それもクローズしてしまっています。「野尻邸」となっておりましたので、野尻さんという方が買って、維持してくださっていたのかもしれません。
鎌倉に居ても知らないことがたくさんあります。
「ここのうちの庭は立派ね」「紅葉の色がきれいね」「ゆずがたくさんなっているけれど、ここには台湾リスは来ないのね」などと、どうでもいい話をしながら、のろのろよろよろと歩いて病院までたどり着きました。
手をつないで歩くことなど、久しくしていませんでした。
私の手をとってくれた人、とってくれる人はいないのだなあなどとメランコリックになるのは秋のせいでしょうか。
手を繋ぐ ぬくもりの先 散り紅葉
夏井いつき先生は「繋ぐ手の なかに握っている 紅葉」と添削されましたが、私は若槻さんの句が好きです。