1980年代後半、私は寺沢武一という漫画家のマネジメントをすることになった。
当時、まだコンピュータがとてもとてもおばかさんで高級な「機械」だったときに、
寺沢武一は「これからのエンターテイメントはコンピュータだ」と言ってのけた。
そのころ、ドットのコンピュータで描いた作品が「BAT」
(ぜひ、kindle版をダウンロードして見てほしい)
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¥価格不明
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そのころ、「アメリカで『コブラ』を出版させてもらえないか」というオファーがあった。
まだ、日本漫画の市場もなく、出版しても利益など出るかどうかわからないという時代に、
アメリカで初めて日本の漫画を出版しようとチャレンジしていた会社が VIZ COMICだった。
「コブラ」は左手に「サイコガン」という武器を持っている。
英語版のコミックは左開きにすることになり、「逆版」(つまり、裏返しに印刷をすること)にしたいといわれ、「左手のサイコガンが右手になるのはおかしい」と、寺沢は難色を示した。
そのほかにも、翻訳者が日本語を「きちんと」理解できていなかったり、その後出版した「ゴクウ」という作品に至っては「アメリカン・コミック」のカラリスト(着色するプロ)が原色の塗り絵をしたために大騒動になったり、とにかく、日本の漫画家としての尊厳を無視するような「アメリカで受けるであろう偏向指導」にとまどったり、怒ったり、悲しくなったりしながら、
それでも私たちは VIZ という出版社の活動を支援するために「折れて」あげようと努力した。
VIZでは「アニメリカ」という日本の漫画とアニメのファン雑誌を出版するようになり、
その編集長のトリッシュ・レデューという女子が私の会社にホームステイすることになった。
滞在費無料でステイする代わりに仕事を手伝うという条件だったが、
「学校が忙しい」という理由で仕事はまったく手伝わず、1年間、マンションに住まわれた。
私が、アメリカの漫画やコミック市場に「貢献」する気持ちでやってきたことはそんなことで、
たいしたことではないけれど、
そのころ、平身低頭でやってきたVIZの堀淵さんは「同志」だと思っていた。
最近、堀淵さんが本を出したということを知った。
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この本を読むと、堀淵さんが、アメリカで、日本の漫画でどうやって成功したのか、ということや、いろいろな苦労が、うっすらとわかる。
でも、この本のなかに「コブラ」も「寺沢武一」ももちろん私も、1行たりとも出てこない。
一緒に、コミックコンベンションでブースを出したり、
日本人が誰もいないアニメのイベントでパネルディスカッションをやったりしたのは、
誰だったのか。
一緒に、市場開拓のために努力をしたのは、誰だったのか。
結局、寺沢も、「コブラ」も、単なる「商品のひとつ」でしかなかったのだ。
過ぎてしまえば、遠い昔のことではあるけれど、
あのころ、「一緒にがんばってきた」という気持ちや、思いが、砕かれる本だった。
そんな、愚痴愚痴とした気持ちになる私ではあるけれど、
『だいじょうぶ。ニャンとか生きていけるよ』を読む。
たとえば、
誰かに何かをしてあげたとして、
その誰かが、してあげたことにまったく感謝をしなかったとしても、
「それでいいんだよ」って思えばいいんだよ、
というようなことが書いてある。
私は、
ついつい、
「あのときに、私は(こんなことをしてやったのに)」とか、
「あの人に、私は(こんな恩義をかけてやったのに)」とか、
思ってしまうのだけれど、
それは自省すべきことだ。
たぶん、
してやったと思うこと以上に、
してもらったことがあるのだろうし、
恩義をかけてやったと思う以上に、
ありがたいと思うことがあったはずなのだから。
私は、
やるべきことをやってきた。
それでいい。
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たとえば、
誰かに何かをしてあげたとして、
その誰かが、してあげたことにまったく感謝をしなかったとしても、
「それでいいんだよ」って思えばいいんだよ、
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私は、
ついつい、
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「あの人に、私は(こんな恩義をかけてやったのに)」とか、
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それは自省すべきことだ。
たぶん、
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