ある企業で人事を担当していたMさんに、シュウカツと採用について、話をうかがった。
その方が実際に採用を担当していたのは20年以上前のことで、少ないときで20人ほど、多いときで60人ほどで、採用はほぼ人事担当者の責任下で行われていたという。

学生10人程度で面接をしても、その際に推薦書類や成績表は一切見ない。すべてコミュニケーションありき、で、人となりを判断するのがMさんの採用方法だった。

面接時に「なにか質問がありましたらどうぞ」と聞くが、だいたい質問がない、か少ない。「会社を『訪問』されたのはみなさんですから、どうぞ聞きたいとことを自由に聞いてください」と勧め、「わたしたちが会社を訪問してください、とお願いしたわけではありませんよ」ともいう。それでも質問がほとんどなきときはそれで解散。
質問があって採用担当者と「会話」がなりたてばほぼ1時間から2時間ほど(もっと長くなることもある)会話する。


・採用のポイントは「自分のことば(借りものではないことば)で話ができるかどうかの一点。

「コミュニケーションで必要なことは、どういう場面であるにしろ「会話」が成り立つか否かだけが問題です。たったひとりで会社を訪ねて来られる場合もあるし、採用の期間ではないのに来てしまう場合もあります。どういうときでも「「人間」として会います」とのこと。
  
面接については、当時でも、面接のノウハウやハウツーを教えられてくる学生がほとんどだったという。だいたいマニュアル化されていて、しかも先入観を植えつけられてくるので、前述のような質問を浴びると、ほとんどの学生が答につまる。

幹部面接も役員面接も、社長面接もなにもしない採用方法だったので、すべて新入社員の採用については担当者の「目」で選択していたわけだが、その後、一般的な会社のように、適性検査や試験をやって、三段階ほどの面接をして、決めるというような方式に変わったという。

それから10年ほどたったあたりに、入社後のトレーニングをしている会社のトレーナーから「最近、御社の社員はあまり変わったかたがいなくなりましたね(実際は、面白いひとがいなくなりましたね)といわれたそうだ。つまり平均的になってしまったということ。
「足切り」はできたのだけれども、ずっと上のほうも切ってしまった「頭切り」もしてしまった。


マニュアル化された学生を、マニュアルでしか採用できない人事担当者が増えている。
だからといって、「緩い」シュウカツ(つまり、情報とマニュアル漬けのシュウカツ)に甘んじるというのは、自分を甘やかすことにしかならないのではないか。

「シュウカツ」中だからといって、生活が変わり、人間が変わるわけではない。
人の品性や品格は常に自分にあるのだから、どんなときにも志がある人でありたい。
そして優れた人事担当者は人を見抜く目を持って採用に望んでいるということを肝に銘じて、学生のみなさんは就職活動に臨んでほしいと思う。