バリュークリックジャパン

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ご存知の通り、渦中のライブドアマーケティングの旧名称です。



私が初めてバリュークリックジャパンを知ったのは


98年にサイバーを立ち上げてから2,3ヶ月位経った時に、


当時アルバイトだった石川君と二人でwebmoneyの


決済導入を営業した時でした。


場所は本郷だったと思います。



バリュー社(当時はまた違う名前、違う事業だったと思うんですが。。)


の物販だったか課金コンテンツだったかを


webmoneyで決済しませんかという営業


をしていると、ニュージーランド出身のイケ面社長が


当社の営業代行に興味をもって


「そんなものより


今、こういうネット広告商品の日本の総代理店をしているので


それを販売してみないか?」


と見せてくれたのがクリック保証広告のバリュークリックでした。



「日本中のジャンル分けされた個人、企業のHPに広告がだせるんだよ!


しかもユーザーを連れてきた数を課金するクリック保証だから、


費用対効果もいいから、是非売ってみないか」


と青い目を輝かせてプレゼンしてくれました。



そして、その社長はバナーを管理画面から登録して


広告が配信されるまでをその場でやって見せてくれました。



全くのネット音痴だった私は


インターネットにはすごいビジネスの可能性があるんだ!


と衝撃をうけました。



その興奮覚めやらぬまま藤田に説明をしたのでしょう。


彼の本の中にでてくるその時の描写では


私と石川君は、完全ハナタレ小僧です。。。


怪しいビジネスをそのまま信じてしまってる少し痛いコ風に


書かれています。



まあ、本の恨みは置いといて、、



それを機にサイバーのネット広告事業がスタートしていきます。


あの時バリュークリックが無かったらどうだったろう


とは考えませんが、バリュークリックジャパンと出会ったから


会社設立の間もない時期にネット広告事業を展開できたと思います。



すでにヤフーは有名だったし、楽天も知っていましたが


私がネットの増殖していくビジネスの可能性を初めて感じたのは


それらのビジネスではなく、


バリュー社・社長のバリュークリックのプレゼンでした。



それから数年の間、両社で競い合ってネット広告ビジネスを拡大させました。


新しいクリック保証の商品を、我先にと競って発表して拡販しました。



その後、バリュークリックジャパン社が形を変えて


100分割したり、合併したりしてライブドアマーケティングに


なったのはなんとなく把握してましたが、


どんな事業をしているかはさっぱり知りませんでした。



今回久しぶりにその名前を聞いて


真相の程は定かではありませんが、バリュークリックジャパンが


どの時点からか錬金術の道具となってしまったかも、と思うと


複雑な気持ちになりました。



ネット業界では他にも、事業やそれを作り上げていく人たちの意図とは


裏腹に流されてしまった会社をいくつか見てきました。



巨額の資金が行き交う成長産業なので、目を奪われてしまうことも


あるんだと思います。


やむにやまれず巻き込まれてしまうケースもあると思います。


乗るべき流れと乗ってはいけない流れを見極めるのはとても難しいことです。



私は、そういう業界だからこそ


いっときの盛り上がりやお金だけで判断せずに、


自分の会社や事業やサービスに魂を込められているか、


志がともなっているか、ということがとても大事だと思っています。



初めてバリュークリックジャパンの社長にうけたプレゼンからは


そういった心意気やネットビジネスへの期待がビシバシ伝わってきました。



と、今度会社を立ち上げるという報告にきた人間に


そんな青くて暑苦しい話を今朝4時くらいにしていました。



。。。眠い