YS11が東京から茨城に引っ越し | 紫のぼやき日記

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トラクタヘッドはスカニアの3軸車です。
トレーラーは分からないです。枠にヤッコの足を2組付けた様な。多分普通に売ってる物では無いと思います。
業者は重量物輸送で有名な大阪の阿知波組です。









関係無いですが、此の方素晴らしいです。乗り物の歴史に就いてメッチャ詳しいです。
大分前に『新車情報』で車の歴史に就いて熱く語って居られましたが、御健在で何より。

NHKニュース

※(写真追加 2020年3月28日18時50分のNHK『BSニュース』より)

羽田空港の格納庫を出る時の映像



茨城の施設に到着、ポールとの距離がやばい。




《本文》
戦後初の国産旅客機「YS11型機」の量産1号機の機体が、28日未明、羽田空港から新たな保管先となる茨城県内の施設に大型トレーラーで運ばれ、およそ5時間かけて到着しました。

「YS11型機」は、昭和40年から平成18年まで41年にわたって日本の定期路線を運航していた戦後初の国産旅客機で、試作機を含めて182機が生産されました。

このうち、量産1号機は平成10年の引退後、国立科学博物館が引き取って羽田空港の格納庫で保管してきましたが、現状での管理が難しくなったことから、茨城県筑西市にある保存と公開が可能な民間施設「ザ・ヒロサワ・シティ」に移されることになりました。

機体は陸路で運搬する必要があるため、去年9月から4か月かけて解体作業が行われ、27日の日中に、胴体と左右の主翼をクレーンを使って別々の大型トレーラーに積み込みました。

このうち、全長およそ25メートルの胴体を載せたトレーラーは、28日午前0時ごろ羽田空港を出発し、通行量の少ない深夜の道路をゆっくりと通過していきました。

そして、120キロほどの道のりをおよそ5時間かけて、28日午前5時ごろ筑西市の民間施設に到着しました。

機体は今後、再び元の形に組み直され、国立科学博物館は、ことしの秋の展示・公開を目指したいとしています。

国立科学博物館産業技術史資料情報センターの鈴木一義センター長は「無事に終わり感無量です。一般の方に公開するという保管から20年来の夢がようやくかなうという気持ちで、ぜひ多くの方に見てもらいたいです」と話していました。

整備士OBが集結して解体

飛行機を再び組み立てられるように解体したうえで陸路で運搬するという前代未聞のプロジェクトは、ことし9月に本格的な作業が始まりました。

作業を行ったのは、長年、飛行機の整備を行ってきた航空会社のOBおよそ20人で、70歳前後のベテランばかりです。

機体は元どおりに組み立てるため、整備マニュアルなどでどの部分が取り外し可能かを確認したうえで作業を始めました。

解体は、主翼についているプロペラやエンジンを取り外す作業から行われ、その後、尾翼、主翼と進められていきました。

もともと、取り外しが可能なエンジンやタイヤなどはボルトやネジを一つ一つ外し、主翼の一部など取り外しができないように永久結合されている部分は、その部分を丁寧に切り外して、陸路で運べる大きさまで解体していきました。

そして、最も大がかりとなる胴体から主翼を取り外す作業がことし1月に2日間かけて行われ、9月に始まった解体作業は、4か月で終了しました。

解体チームのリーダーで、およそ10年間YS11の整備に携わった経験がある佐藤正弘さん(73)は「経験豊富な人たちが集まったので、本当に楽しく早く終わりました。解体することで、作った人の苦労もよくわかりました。量産1号機はこの日本で、戦後に初めて飛ばした飛行機として、実物を見て知ってもらうためにも、残していくのはやはり大事だと思いました」と話していました。

※2020年3月28日19時16分