人間界と自然界の違い

私は世の中がコロナ禍と言われている時に、その影響をもろに受けて会社が休業してしまい。1年半もの間自宅待機をしていました。

 

家にいてもあまりにもやることがないので、気分転換に散歩に出かけたりしていましたが、その時住んでいたところの近くに高速道路が通っていて、ニュースなどで自粛で高速道路も車がほとんど走っていないというのをやっていたのを思い出して、実際はどうなのだろうと思い、散歩がてら見に行ってみました。

 

実際に見てみるとニュース報道と同じで物流のトラック以外車がほとんど走っておらず、いつもは車の走行音でうるさいくらいなはずなのに、あまりに静かすぎて気持ちが悪いくらいでした。

 

そのまま散歩を続けていると、野良猫や鳥なども目に入ってきますが、人間社会がロックダウンだ自粛だワクチンだと騒いでいる中、自然界の動物たちや風に揺れる木々は何も変わらず、ありのまま自然のままただそこに存在しているだけでした。

 

私はその様子を見て感じたのは、この地球上で大騒ぎしているのは「人間」だけで、自然界の生き物はこの地球と一体化して、ただそこに存在しているだけなのだということです。

 

自然界の生き物と人間の決定的な違いはここにあるということです。

 

人間は生まれた時から人工物に囲まれ、ワクチンを打たされ、よくわからずに学校へ行き、よくわからずに社会人になり、訳も分からないまま右往左往しながら生きて、やがて何もわからないまま老いて死んでいくと思います。

 

ただある一点に気付くことで、自分の人生とは、現実世界とは何なのかということが少しは分かってくると思います。

 

その一点とは「人生は学びの場」だということです。

 

自然界の野生動物と人間の違いはこの一点にありますが、なぜそう思うのかというと野生動物は基本的に本能の赴くまま、ただ自然と一体になり行動をしていますが、人間は異常なまでに知能が高く進化し、自ら作り出した人工物に囲まれて生きているので、自然からは意図的に距離を置いています。

 

なので当たり前のように子孫を残そうとする野生動物と違い、結婚し子供を持つ人もいれば一生独身の人もいるし、僧侶になる人もいたり、自然と共に生きようとする人や殺人者になる人もいる。

 

つまり、人の人生は野生動物と違い、自ら「意図して」人生を選ぶことができる、意図するということは自ら選択した生き方を実践し、学びの場とするということができるのが人間ということになります。

 

いやそんなことはないよ、自分で意図して今の人生を生きているんじゃないよという人もいるかもしれませんが、よくよく思い出せば、その時々で何らかの選択肢があり、その選択肢を無意識だろうと意識してようと自ら選んできているはずです。

 

その選択をより意識的にやるためにもこの「人生は学びの場」という一点を自分の中心に置いておけば自分の人生をより客観的に冷静に見ることができ、自分の今の性格や育った環境、得意なことや好きなことなどを深掘りすることもできてきて、より現実世界に振り回されることが少なくなるはずです。

 

現実の世界に必要以上に振り回されることが無くなれば、より充実した人生になるはずですし、今の人生において今後どのように生きたらよいのかという答えも何となく見出すことができてくるし、そうなれば自分の進むべき方向性も見えてくるのではないかと思います。

 

私は今、この学びの場ということを念頭に置きつつ自分の身に起こることを注意深く観察しています。