追えば追うほど

私は人生においてパートナーとなる人がいたらまた新しい道が開けるのではと思い、人生においてともに支え合って生きていけるような女性がいたら、今よりももっとやれることの幅が増えて楽しいかもしれないなと思うことがあります。

 

ですが、そういう相手を追い求めれば追い求めるほど全くと言っていいほど縁を感じることがないのです。

何というか周囲には私と話が合う人が全くいないと感じていて、職場でも一人でする仕事を割り当てられているので、休憩時間でも誰かと話すこともなく、プライベートでも誰かと会うこともなく、コミュニケーションをとれる相手がいないことが多いのです。

 

私は盗撮で警察に捕まった過去があるので、そういう面でもなかなか他人に心を開くことが難しいと感じていますが、パートナーという言葉を意識すればするほどそういった相手が出てくる気配がないのが現状です。

 

ただ客観的に判断するともしかしたら気の合うパートナーが女性とは限らないという点も、もしかしたらあるのかもしれません。

パートナーが男性か、あるいは女性から男性になった人か逆に男性から女性になった人かおじいさんやおばあさんかもしれないのです。

 

人間は思い込みというものがあるので、もしかしたらもうそういう人と出会っているのかもしれませんが、現状では全く誰なのかもわからないし、今生ではそういう人には会うことはないのかもしれません。

 

追い求めれば求めるほど縁が遠くなっていくのであれば、もうそういう相手を探すことはやめた方が肩の力も抜けて楽になるようにも思います。

 

縁というのはどういう風に転ぶのかわからないのですが、自分に起きた1つの例として、以前のブログでも少し触れましたが、友人の勧めで今年から家庭菜園を始めましたが、始めるにあたって貸し農園を借りようと思い、ネットで探しては連絡をするということを繰り返していましたが、探し始めた時期が昨年の夏野菜の全盛期だったため、空いている農園は全くなく、とりあえず家から近い農園の管理者に連絡をして来年の4月に空くようでしたら連絡をいただけるとのことでしたので、ダメもとでお願いし待つことにしました。

 

仕事が忙しかったのもあり、そのことをすっかり忘れて何か月もたっていましたが、急に知らない電話番号から連絡があり、警戒しながら出てみると畑の管理者の方で、4月から1件あくのでやりますか?という連絡でした。

 

かなり時間がたっていて全く記憶の中からすっぽり抜け落ちていたのと、全く野菜を作ったこともなかったので、唐突に決断を迫られるという場面になって多少不安になりましたが、その時は口が勝手に動く感じで「お願いします。」ととっさに返事をしていました。

 

まさか本当に畑が空くとは思っていなかったので、こんなにトントン拍子で進むものなのかと戸惑うくらいでした。

 

縁というのはこういう感じでつながっていくものなのだとその時にはっきりと実感しました。

 

何もしないというのも違うような気がしますが、縁を追い求めるのではなく、ある程度やることをやったら放置する方がうまくいくような気もします。