人生は短い

私は盗撮で警察に捕まって以来、自分のこの悪癖を何とかしようと7年近く試行錯誤を繰り返してきました。

 

そんな中でたどり着いた1つの結論として、夢中になれる趣味を見つけることというのがあるのですが、そこで今でも続けているスキーについて気付いたことが1つあります。

 

それは、スキーというのは日本国内にいる限り、12月から例外的な場所を除きおおよそ5月の連休までの5か月間くらいしかできません。

これを考えた時にふと気づいたのが、人生において健康な体でスキーを楽しめるのはあと何シーズンなのだろうかということです。

 

私は今50歳近くになろうという年齢ですが、スキーはかなり体力を使うので、今と同じかもう少しゆっくり滑るとしても60歳代後半までくらいならいけるのではと考えています。

しかしそうだとしても残されたシーズンは、20回にも満たない可能性があります。

 

長い人生の中でスキーを楽しめる時期がたったの20回ということです。

 

こう考えると人生というのは本当に長いのでしょうか?

私はこのことに気付いたときにとても焦燥感にかられました。

 

SNSなどでよく見るのは「早く死にたい」「今日も仕事だるいな、行きたくない」とか「つまらないな」「やる気が出ないな」とかそんな言葉がよく見られたり、会社に行っても休みの日にやることがなくて何もしてないとかいう人もいますが、そんなこと言っているということは、その時点でかなり余裕があるんだろうなと私は思いました。

 

私は、盗撮で警察に捕まった時から、再犯しないためにあらゆる方法を試行錯誤してきましたが、このことは言い換えれば自分自身を徹底的に客観視して、自己分析をする。

つまりは自分とは何者か、なんでこのような人生になったのかと自分自身へ問いかけ、自分自身に向き合うという人生において孤独で厳しい戦いのようなことをやってきました。

 

やることがない、いやだいやだと言っているという人は、自分自身に向き合わず、人生の失われていく時間を気にすることなく怠惰に過ごしているということです。

 

私はそういう人たちがかわいそうだとは思いません。むしろ幸せそうでうらやましく思います。何せ自分に向き合わなくてもだらだらと生きていける環境にいるからです。

 

私は、盗撮という悪癖によって人生が狂ってしまい、なぜこうなったのかと考えていますが、いまだ答えは見つからず、焦りを感じつつも人生の時間だけがむなしく過ぎていっています。

 

世間一般の見解では、独身者が40歳代になると既婚者と比べて人生においてやることがなくなるということらしいのですが、私は自分の身に起こった「盗撮」という私のイメージとしては不治の病とも取れるこの悪癖を治そうとして趣味の幅を広げたり、心理カウンセリングを受けたり、瞑想のセミナーに参加したりと、私は日々やることが多く、短い人生の中でこんなに忙しく動き回らなければならないのかと思っているので、本当に40歳代になるとやることがないのだろうかと疑問に思っています。

 

人生というのは本当に短いと心底感じていますが、私は今後も盗撮に染まってしまった人生を解決するためにやれることはすべてやっていこうと思っています。